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パナマを越えて=本間剛夫=79

 エリカ姉妹の処置をめぐって敵対してきた副官とは思えない恩讐を超えた炎々とした声色だった。
二人の和解は私にとっても嬉しかった。二人の間に蟠(わだかま)りの種子を蒔いたのは私だったからだ。
「そうですな、そうしましょうか……」
 中尉が素直に応じた。
 司令部に着くと、予め科長から命令が出ていたのか、下士官や兵たちが厨房で宴会の準備に忙しそうだった。
 まだ三時を過ぎたばかりで壕の外は暑い太陽がが、この小島に意味もなく燦々と光を注いでいる筈だった。何かが欠けている……降服の宴というものがあるのだろうか。何かちぐはぐな感情がしきりに胸に湧いた。下士官以下、庶務室、医務室の兵たちが庶務室前の広場に急造した会場で、豪華とは云えないまでも出征以来初めての階級を忘れた宴だ。椰子の葉を敷き、海草のつまみを添えた刺し身まで供され、久しく忘れていた酒を汲み交わし始めた。
「今日は無礼講だよ。永い間、みんなご苦労だった。みんな郷里の民謡でも歌わんかね。まず、俺から始めよう」
 科長は木曽節を披露した。彼は信州の生まれだったのか。我々は上官の経歴、出身地など何も聞いていなかった。同郷とか縁故関係などによって階級秩序に私情が混わることを防ぐのだろうか。それも、軍隊というものを無味乾燥な冷血集団に作り上げているのだ。十余名の出身地を異にするそれぞれの民謡がひとわたり済んだところで、部外者である粟野中尉が北陸に残るという具殻節を悲哀を籠めた低い音声で歌い終わった。
 どの唄にもその土地の土の匂いが感じられたが、私は民謡を知らなかった。幼いころ聞き覚えた日光和学踊りの音頭を薄覚えに口ずさむことはあったが、ブラジルの生活では歌う機会がもなく過ぎてしまっていたので文句も忘れ自発的には歌う気持ちはなかった。
「福田兵長、歌えっ! 福田兵長は、おらんのか」
 副官の甲高い声に私は我に返った。今まで同僚たちの手拍子に合わせていた私は困ったことになった、と思い
「はい!」
 と答えたまま暫く俯向いていた。
「何を、もたもたしとるか。歌え!」
 再び副官が怒鳴った。
 已むなく私は立ち上がり、奨学唱歌「青菜の笛」を歌うことにした。私は静かな音律の歌が好きだった。しかし、この敗戦の非歌は慰労の場にはふさわしくなかろう。そう思いながら、他の歌が思い出せず、歌い始めた。
「一の谷の軍さ破れ
打たれし平家の公達 哀れ……」
 平家の終焉を歎く作者の心が胸深く泌み入ったとき、
「止めろっ!」
 副官が、叫んだ。
 瞬間、私はしまった、と思ったが、もう間に合わなかった。副官が大股で近づいたと思うと、私の頬に固く握り占めた挙が飛び、私の体は大きく揺れて、そのまま蹲った。
 副官の発案によって始まった折角楽しい宴席を私の無思慮のために打ち壊してしまったことをあやまらなければ………すると、二回目の挙が私の後頭を突いた。私はそのまま意識が遠のくのを感じていた。
 気がつくと、数人の同僚が私を担ぎ、私の寝室に運んでくれていた。

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