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北米=日系社会の盛衰映す羅府新報=語り継ぎ、記録する責任

羅府新報社内の新聞保管庫で、過去の紙面を前に語る現社長の駒井幹夫=ロサンゼルス(撮影・水野陽介、共同)

羅府新報社内の新聞保管庫で、過去の紙面を前に語る現社長の駒井幹夫=ロサンゼルス(撮影・水野陽介、共同)

 【共同】1941年12月7日深夜。米西海岸ロサンゼルスの邦字紙「羅府新報」の駒井豊策社長が長い一日を終えて帰宅すると、米連邦捜査局(FBI)の捜査官たちが待ち受けていた。日曜日だったこの日未明(米太平洋時間)、ハワイの真珠湾を日本軍が奇襲攻撃した。羅府新報は通常の紙面を印刷した後「日本爆撃機五十機 今朝布哇を爆撃」の見出しが躍る号外を刷って配った。戦争が始まり、日本は敵国に。豊策は日系人社会の指導者の一人として逮捕され、ロサンゼルス近郊の連邦刑務所に収容された。

 編集の指揮は豊策の長男・明が引き継ぎ、FBIの検閲下で発行を続けた。英語が不得手な移民一世も多かった当時、米国の対日政策や日系人の処遇などに関する情報を伝える日本語メディアは必須だった。
 しかし明けて42年2月、西海岸の日系人約12万人に強制立ち退きと収容を命ずる大統領令が発せられ、羅府新報は4月4日付を最後に、休刊を強いられた。

 ▽移民に情報
 羅府新報は右から開くと日本語、左から開くと英語の紙面がめくれるバイリンガル新聞だ。現在まで続く構成になったのは戦前の26年。豊策の孫で現社長の幹夫(63)は「祖父は次世代以降には英語の記事が必要だと考えた」と振り返る。
 日系二世は「米国市民」として米国社会に同化しようと努め、日本語より英語を重視した。その世代にも、米国の新聞には載らない日系人社会の情報を伝えるのが邦字紙の責務だった。
 豊策が英文紙面を始めた2年前には日本からの移民を実質的に禁止する米国の法律が成立した。背景には反日感情の高まりがあった。日本語の情報を必要とする新移民が増えなければ、日本語だけの新聞は伸び悩む。英語で日常生活を営む二世に読まれる新聞でなければ存続できない。豊策はそう見越していた。
 移民国家の米国にはスペイン語やイタリア語、中国語をはじめとする移民の母語による新聞が多数存在する。その中で、邦字紙は特有の不利な条件にさらされているとサンフランシスコ州立大のジョン・フナビキ教授(65)=ジャーナリズム=は指摘する。
 「中南米や中国からは切れ目なく移民が流入する。日系移民は違う。1900年初頭ごろまでに最初の大きな人波が来て一世となった。その後は移民が途絶え、再開したのは戦後。しかも、世代によって日本への関心、日本語への親しみがまったく異なる」

 ▽新聞離れ
 第2次大戦が終わり、羅府新報は46年1月1日付で復刊した。
 豊策はこの間、連邦刑務所など5カ所を転々とさせられた。幹夫は父で先代社長の明の日記などから「やり手だった祖父が、戦後はすっかり人が変わったようになった」と知らされた。
 幹夫が明の死を契機に8代目の社長に就任したのは83年。戦後の羅府新報は日本の高度経済成長と日系企業の米国進出、日系人社会の成熟などに伴って発展し、86年には発行部数約2万4千部のピークを迎えた。
 しかしその後、日米でバブル経済が崩壊。情報のデジタル化などによる新聞離れの潮流にもあらがえず、羅府新報は部数を減らした。現在は約8500部で、発行日数も週4日になった。
 2010年3月、有力紙ロサンゼルス・タイムズに羅府新報の苦境を報じる記事が載った。日系人社会に欠かせない情報源を経営危機から救おうと、地元が立ち上がったという内容だった。
 その前年、サンフランシスコでは1899年創刊の「日米新聞」を母体として戦後の46年から続いていた「日米タイムズ」と、48年創刊の「北米毎日」が相次いで事実上の廃刊に追い込まれていた。日本語の読者層の高齢化、広告が主体ともいえるカラフルなフリーペーパーの隆盛など不利な条件も重なり、伝統的な邦字紙の経営はどこも苦しい。

 ▽社会をつなぐ
 日米タイムズの副社長だった田熊健二(45)は10年、非営利財団「日米ファンデーション」を発足させて編集業務を引き継ぎ、新聞を日刊から隔週とすることで命脈をつないだ。「両紙がなくなって、みんなが新聞の大切さに気付いた。邦字紙は日系人社会をつなぐ〃のり〃のような存在。なくしてはいけない。記録を続ける責任がある」と言い切る。
 日系人社会の物語を語り継ぐ。それは、地域と共同体に根付いた新聞社にしかできないことだと幹夫も思う。「紙の新聞」を守りながら「若い世代にどうやってメッセージを伝え続けるか」を模索する日々が続く。(文・尾崎元、写真・水野陽介、敬称略)


1903年創刊の羅府新報=現存は米州に10社

 【共同】最古の海外邦字紙はサンフランシスコで1880年代半ばに発刊された「東雲雑誌」。自由民権運動機関紙の性格が強かった。日系移民社会に根ざした新聞としては、日米新聞などがさきがけ。今も残る邦字紙としては1903年創刊の羅府新報が最も長い歴史を刻む。
 現在、北米には羅府新報のほかバンクーバー新報(カナダ)、北米報知(シアトル)、シカゴ新報、ハワイ報知の各紙があり、南米にはブラジルに2紙(ニッケイ新聞、サンパウロ新聞)とアルゼンチン、ペルー、パラグアイの各国に1紙ずつがある。
 全米日系歴史協会(サンフランシスコ)のロザリン藤内理事長(54)は「言葉は文化。日系人の文化的アイデンティティーを保つためには日本語が欠かせない」と、邦字紙の存在意義を強調した。

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