第17次LJ=ジルセウの〝代理人〟逮捕=メンサロンとの関連性強まる=ドゥケを裏から操った疑惑=上層部に向かう捜査の行方
ペトロブラス(PB)疑惑を捜査する第17次ラヴァ・ジャット(LJ)作戦で、「元官房長官のジョゼ・ジルセウ容疑者の〃代理人〃」(アジェンシア・エスタード4日付け)として、PBが企業と結ぶ契約に対し影響力を持っていた労働者党(PT)のロビイスト、フェルナンド・デ・モウラ容疑者が逮捕され、ペトロロンの不正においてPTが深く絡んでいた疑惑がさらに強まっている。ここへきてメンサロンとペトロロン疑惑の関連性が一気に強まってきた。4日付伯字紙が報じている。
モウラ容疑者の名前がはじめて浮上したのは、メンサロン事件の最初の発端とされる2005年5月に発覚した郵便局スキャンダルの際だ。疑惑の人物として一時、名前があがったが、そのまま表舞台から消えていた。
1986年にジルセウ氏がサンパウロ州議員に当選した頃から、モウラ容疑者は行動を共にするようになり、ルーラ第1次政権に関係を深めた。
同エスタード4日付けは「ジルセウの要請で、モウラがPB重役にドゥケ(元サービス部長)を指名した。それはルーラ第一期政権開始直後の03年だった。それゆえに、月曜のモウラ逮捕を受けPT関係者の不安は増している」と報道した。そのドゥケ氏はLJで4度の刑事告発を受けている最中。捜査は当時の政治家上層部に向かっているようだ。
モウラ容疑者は2009~10年にエンジェヴィクス(EGV)社がPBと契約を結んだ際に、手数料と称して530万レアルの賄賂を受け取っていたと、パラナ州連邦地裁のセルジオ・モロ判事は見ている。ホープという下請業者からも180万レアルの賄賂を受けた疑いがある。
この容疑は、EGV社のロビイストで5月に逮捕されていたミウトン・パスコヴィッチ容疑者の報奨付証言から浮上した。同容疑者はモウラ容疑者への贈賄を認めたのみならず、その関係性も語った。
パスコヴィッチ容疑者がモウラ氏に最初に会ったのは、PBが油田の配管ターミナルに関してEGV社と13億レアルの契約を04年に結んだときだ。モウラ氏から呼び出しを受け、この契約が(当時の)ドゥケ氏によって結ばれ、手数料を払わなければいけないと命令されたという。
あるときはパスコヴィッチ容疑者の自宅で、モウラ氏がドゥケ氏に自分への賄賂の支払いが遅れていると責めたこともあったという。
またモウラ容疑者はGDKという企業がペトロブラスと契約を結ぶ仲介も行ない、さらに2つの下請企業のPB社との契約の責任を担っていたとも言われている。