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死線を越えて―悲劇のカッペン移民=知花真勲=(10)

山焼きして開拓した土地を捨てる地獄のような体験の果てに――

山焼きして開拓した土地を捨てる地獄のような体験の果てに――

 そして、ブラジルのウチナーンチュであることを誇りに思っている。それにしても、「カッペン移民」は「無謀な移民であった」、と言い切って許されることなのか、と。
 確かに、「無謀」と言われても仕方がない面があったことは事実である。それでは、何故この「無謀」が許され、71人家族423名もの県人同胞が送りだされたのか。その原因と社会的責任は、現在でも明らかにされてはいない。
 敗戦後の50年代当時の沖縄は、人口増加と就職難、そして米軍による軍事基地拡張のための土地接収が続き、とくに読谷では村の半分以上の土地が取り上げられ、耕地は狭く、人々は生活に窮し、将来に不安を抱いていた。
 宜保三郎らが始めた「カッペン移民」計画に多くの同胞が「ワラをもつかむ思い」で参加し夢を託した。そして、彼の調査報告や土地の肥沃状況を示す写真などに全幅の信頼をおいた。実際1958年5月第一次隊が出発し、これに続いて2次・3次隊も次々と送り出された。
 第4次隊の私達もまた、すでに書いたように、何万キロの海と陸路を越えて、遥か裏アマゾンのカッペン植民地にたどり着いた。そこで見たものは、聞いたこととは全く違う天と地の差の「地獄谷」であった。そのことは、書いた通りそのままである。
 私達は、騙されたのか。それは、私達の「無知と無謀さ」がしからしめたものなのか。
 もう遠い昔のことではあるが、今も時に思い出し、無念さと怒りが胸に込み上げて来るのだ。
 ただの一介の移民者にすぎなかった私達にとって、カッペン会社との「契約」や宜保三郎の「調査報告」の真偽を検証することなど、思いもよらぬことであったし、また、できるはずもなかった。
 思うに、計画移民であれ、呼び寄せ移民であれ、そして民間組織による移民であれ、国民が同じく国外に移民することであり、国家あるいは行政当局は、「国民の生命と財産を守る」という点において、等しく義務と責任を負わなければならないはずである。
 けれども民間組織による移民である私達カッペン移民は、行政当局から一銭のお涙金さえも支給されず、また、移民団体にたいする責任体制(指導と監督)もないまま、移民が許可されて送り出されてしまったこともまた厳然たる事実である。
 このようなことを書き連ねていると、あの裏アマゾンの山の中で、尊い命を犠牲にした家族・親族や仲間たちの悲業の声が聞こえてくるようで心が痛み、鎮魂の合掌を捧げずにはいられない。そして、彼らの尊い犠牲とカッペン移民の真実を後世に伝えたい思いが込み上げて来るのである。この文章は、このような思いを込めて書いたのである。(終わり)

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