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「半世紀住み居て歌えぬブラジル国歌リオ五輪までに覚えてみたき」

全伯短歌大会で作品を考える参加者のみなさん(9月13日)

全伯短歌大会で作品を考える参加者のみなさん(9月13日)

 先の全伯短歌大会の中から独断と偏見で選んだ作品を紹介したい。あれほど辛かった開拓生活が懐かしく思える心境になった様を詠んだ「渡伯時の想い出ぼろぼろこぼれ出て行きて探せど板小屋はなく」(新井知里)▼子供移民には日本の家こそが「我が家」。常にどこか旅路にいるような感覚が詠み込まれた「コロノの家わが家と思わず幼なごはうちへ帰ろうと移住せし頃を」(高橋暎子)▼納得したと思っていたはずなのに、生活の必要から泣く泣く国籍を離脱した時の心境がふと込上げる様を描いた「白飯(しろいい)の粒たつ見れば自ずから目がしら潤む帰化人のわれの」(上妻博彦)▼難民のニュースを見て、かつての移民船を思い出して詠んだ「大人らの心配よそに船上で無邪気に手を振る難民の子ら」(山田節子)。中東情勢を詠み込んだ「戦争をせよと教へる神ありや平和を祈り逃げ惑ふ民」(富岡絹子)も考えさせられる歌だ▼子らに日語は伝わらなかったが、ふとした瞬間に見せる仕草にDNAを感じる様を「祖父の血をかくもそれぞれ受けしかと子等の仕種を見つつおそるる」(川久保タミ)と表現したのも面白い▼長年の二人の日常が崩れた心境「朝まだき熱きカフェを独り呑む妻亡きあとの無量のしじま」(木村衛)も深い悲しみが伝わってくる▼喜寿の祝いだろうか。子らが準備してくれた赤飯にガルフォが添えてある様子に「郷に入れば」の心境で「お赤飯皿にガルフォの祝い膳郷に従い慣れ来し幾とせ」(相部聖歌)には達観が溢れている▼「半世紀住み居て歌えぬブラジル国歌リオ五輪までに覚えてみたき」(金谷はるみ)も共感を呼ぶ作品ではないか。(深)

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