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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第8回=認識派新聞からの妨害工作

書斎で執筆中の岸本(『戦野』第三版)

書斎で執筆中の岸本(『戦野』第三版)

 書名の〃戦野〃という言葉にどこか物々しい印象を受ける。第2次大戦では直接の戦場にならなかったブラジルなのに、日本移民には〃戦場〃だと感じさせる何かがあった。もちろん岸本が信仰するキリスト教プロテスタント「救世軍」が軍隊用語を用いていた影響も強いだろう。
 1948年3月3日にDOPSが来て岸本が逮捕されて国外追放裁判が始まり、50年年3月に聖州中央裁判所で無罪判決、53年10月には連邦中央裁判所の第二審でも無罪判決、その後、57年12月には最高裁でも無罪を勝ち取り、冒頭の判決文までに都合10年の間も苦しんだ。
 これだけを羅列すると、一見「無罪判決」続きのように見えるが、常にどこかから邪魔が入る辛い闘争だった。
 『戦野』第三版には、認識派新聞との関係を示すこんな逸話が紹介されている。50年1月、日本移民へのカトリック布教の先駆者フレイ・ボニファシオ神父は、岸本国外追放裁判の弁護側証人として熱弁をふるった後、「認識運動に狂奔していた邦人新聞記者の一人」から食ってかかられた。パ紙記者だろうか。
 「岸本は新教だということを神父さんはご存知ですか?」という記者に対し、神父は「あなたは、なんの必要があって、岸本さんは新教だというのです? それは一体どういう意味ですか? ドイツ人も、英國人も、戦時から戦後にかけて、岸本さんの書いた本よりもっと酷いことを書いて出していますが、英國人が英國人を傷付けたり、ドイツ人がドイツ人を不利に陥(おと)しいれるようなことをして警察に訴えた者は一人もありませんよ。日本人が、日本人を苦しめてそれでよいのですか……」(268頁)
 『蕃地』472頁には、認識派邦字紙記者と、岸本側の木下弁護士との間で、次のようなやり取りあったと書かれている。
 木下弁護士が岸本の『戦野』を翻訳していると、一新聞記者が来て、《「この問題をこれ以上広げたくないものですね。このままそっとして置いたらどうだ」と云って暗に翻訳を中止させ、事件の好転を遮断しようとかかってきた》とあり、さらにどんな翻訳をしているのかを探るような質問をし、最後に再び「まあまあこの問題を余りいじらないで、ソーッとして置いて貰った方がいいですがね…」と念を押した。
 岸本は《認識運動をしている人達が、この本をコロニアの戦時中の有りのままの記録であることを見忘れて、強硬派の右翼思想に油を注ぐものと見たのである。こんな所から認識運動の指導級の一部の人達からひどい妨害を受けていることがわかった》(『蕃地』472頁)と書く。
 『戦野』を最初に問題にした書評がパ紙のポ語欄であり、このような流れがあればこそ、岸本の件を長年記事にしなかったのだろう。(つづく、深沢正雪記者)

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