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終戦70年記念=『南米の戦野に孤立して』=表現の自由と戦中のトラウマ=第19回=エリート二世の心の傷

1932年の護憲革命軍に参加した当時の若き山城ジョゼ(Trajetoria de Duas Vidas)

1932年の護憲革命軍に参加した当時の若き山城ジョゼ(Trajetoria de Duas Vidas)

 移民の子供としてブラジルに生まれ、複数の大統領すら輩出するUSP法学部、難関の医学部に苦労して入学して得た「USP学生」というエリートの肩書はなんだったのか――。ただでさえデリケートな思春期、誇り高い彼らは〃事件〃の体験に打ちのめされたに違いない。
 そんな忸怩たる思いで、1週間の獄中生活を送った。その時間が彼らに「ブラジルの怖さ」を植え付け、それ以前に増して政権寄り、DOPS寄りの立場に立ち、結果的に、戦争中の日本人迫害を民族の屈辱の歴史として記録に残そうとした「勝ち組」を弾圧する先兵になった可能性がある。
 岸本国外追放裁判の件は、山城の自叙伝『Trajetória de Duas Vidas』(96年、アリアンサ)にはいっさい触れられていないが、DOPSのジェラルド・カルドーゾ・デ・メーロ警部に頻繁に呼ばれて通訳や翻訳をしていた事(163頁)は書かれている。
 勝ち組、負け組という対立軸で考えると真相が見えてこない。勝ち負けというのは表面上の問題であって、実際の対立の根源は「同化主義」対「民族主義」という感情的なものではないか。
 民族主義の最たるものが勝ち組の強硬派。それに対する同化主義の急先鋒は認識派のリーダー(一世)ではなく、USP卒の二世インテリではなかったか。
 翁長秀雄や山城ジョゼ、2次大戦でブラジル遠征軍に志願した医者の氏原マサキら、戦前の「サンパウロ学生連盟」の流れをくむ者たちだ。二世であるがゆえに、よりブラジル社会からの差別をデリケートに感じ、「二世など存在しない。自分たちはただのブラジレイロだ」と主張し、民族派をことごとく攻撃した。
 そんな翁長と山城2人が中心になってパ紙のポ語面が始まった。その流れからポ語頁で岸本の本を告発し、DOPSに訴える流れが生まれたとしても不思議はない。当時としては日本語紙面よりもさらに過激な主張が盛り込まれていた。
   ☆   ☆ 
 1980年にNHKブックスから刊行された『日本人の海外不適応』(稲村博著、以下『不適応』)によれば、米国の二世には日本人であることを拒否し、現地人そのものになりきろうとする傾向があり、ブラジルでは一世にならって日本人的であろうとする(『不適応』114頁)と分析している。
 前者の北米型二世に関し《二世たちは一般に没個性的である。主張や信念は口にせず、表面的には非常に柔和で愛想がよい。しかし心の内部は非常に複雑(中略)》という。《彼らのこうした心理的屈折には、移民二世という宿命以上に歴史の重圧が運命的にかかわっているように思う。それは第二次大戦であり、日本と敵対する側に身をおかねばならなかったという現実である。その中で、彼らは屈折するしか生き残る道がなかったのだし、またそれは実に懸命な選択であったものといえよう》(『不適応』115頁)
 岸本の著書を「民族派の言論」としてDOPSに告発したエリート二世の心理は、まさにその屈折ゆえだろう。(つづく、深沢正雪記者)

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