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パリ同時多発テロの背景に漂う不安感

フランスの国旗色の照明を当てられたコルコバードの岡のキリスト像(リオ、Foto: Shana Reis/GERJ)

フランスの国旗色の照明を当てられたコルコバードの岡のキリスト像(リオ、Foto: Shana Reis/GERJ)

 パリ同時多発テロでは、過激派組織「イスラム国」が送り込んだ集団は自動小銃や自爆装置で市民約130人を殺したが、その数時間後に仏は戦闘機を出撃させ、「イ国」の軍事施設を大型爆弾20発で応酬した。今も「目には目を」法則が先進諸国中枢でも常識だと実感する。というか、先に被害者になれば「10倍返し」が正当化される気運だ▼この種の事件で気になるのは、パリでの死傷者数は報道を通して瞬時に知る事ができる一方、「イ国」側で何人死んだかは分からないことだ。関係ない市民を殺すことは絶対にあってはならないことだが、一連の米仏空爆で「イ国」市民の被害者はゼロか。この種の報道には、どこか不公平感が漂う気がするのはどうしてだろう▼仏大統領はテロ翌日、国会で「これは戦争だ」と声高に宣言し、報道でも「卑怯なテロリストと交渉できない」とナショナリズムを喚起する論調が多々聞こえてきて、怖くなる。「交渉しない」とは、相手が降伏するまでは「皆殺し」にする―という事なのか…▼同大統領は「宗教戦争ではなくテロとの戦いだ」と言うが、狙われたパリの劇場はユダヤ人経営…。「ユダヤ対イスラム過激派」という中東の構図で起こされたテロが、欧州側からは言外に「キリスト教対~」と拡大解釈され、「テロ対策」を振りかざして欧米が軍国主義化している雰囲気がどうも気になる▼ジウマ大統領は「南米は遠いから安全」と他人事発言していたが、日伯が24時間で移動できる今〃遠い場所〃はあるのか。「ブラジルでは民族紛争は起きない」という〃伝説〃がリオ五輪で崩れないことを心から祈りたい。双方の犠牲者に合掌―。(深)

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