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自分史=ボリビア開拓地での少年時代=高安宏治=(4)

原始林の中の動物たち

原始林の中の動物たち

 時間が経つに連れ、原始林の中に三線の音が鳴り響き、老若男女が一体に成り、カチャーシーで喜びを分かち合っていた。沖縄に居たころは、「ユイマール」という言葉さえ聞いたことがなかったが、ボリビアに来て初めての体験であった。一人の力では出来ない仕事を隣近所、あるいは同郷人たちが力を合わせて成し遂げていく、いわゆる「共同作業」である。
 いま目の前で隣近所となる人々が一体となって、僕ら家族の家をアッという間に築き上げていく様子に、僕は吸い込まれるように感じいっていた。また酒座で喜び合う大人たちの姿に、言葉では表現し難いけれど人と人の心の繋がりのようなものに惹きつけられ、いつまでもその場から離れようとしない自分であった。
 「ユイマール」の共同作業は、厳しい坂道を乗り越えて行くためには是非必要なことである、と感じ自分から進んで大人たちに混じって行動した。特に、家作り、橋作り、道作り等に参加した。少年の僕でも役に立って、皆から喜ばれて嬉しかった。
 子供ながらにも、大人達の開拓の苦労の汗が、希望への一歩一歩となっていく、その喜びに体の芯から熱いものがこみあげて、早く大人の中に入って行きたいような気分に浸っていた。だが、大人たちの中には、酒に酔い自暴自棄となり、「沖縄政府にだまされた! 来て見ると全然状況が違う、我々はアメリカの計画で沖縄から捨てられた」と泣き叫ぶ人もいた。
 期待は裏切られ現実は厳しかった。同船者の中には、皆についていけず、残念ながら精神的な病いを患い、一家族が国援法で帰国させられる人さえいた。厳しい環境の波を乗り越えて行けない人もいた。

縁の下の力持ち

 母は、苦労、心労の中にありながらも、子育てには身も心も打ち込み懸命に生きてきたように思う。子供が病気で寝込んだり、不自由と孤独で寂しがる時に泣く子供の姿を見て可哀想だと思ったことだろう。だが泣いていては山の中では暮らせない、と子供らを勇気づける。
 地球の反対側まで来た以上は、気持ちを振り絞りひたすらがんばるしかなかったであろう。母は人影の見えない所で隠れて涙流していたという。母は、気丈夫で意志が強く、3名の子供のいる所では決して弱音を吐いたり、涙を見せたりはしなかった。
 毎日の畑仕事は、母と共に朝早くから夜遅くまで一生懸命働いた。母は、常々諭すように、「人先に儲かり、都会に出て商売をやるんだヨ」と僕に言い聞かせるのだった。僕には、母の言葉そのものが人一倍働き続ける母自身のように思えた。
 僕ら兄弟は、このような母に勇気付けられ、毎日の生活の中で、知らず知らずのうちに忍耐力、責任感という社会を生きていく上での人間的な道徳心や精神的な力を培われて成長したように思う。

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