ホーム | 日系社会ニュース | 原爆投下70周年で記念出版=惨劇の記憶、風化させるな=大学院生中川さんら企画=平野「政治的に落とされた」
出版会の様子(左から2人目が森田さん、中川さん、遠藤さん、平野名誉教授)
出版会の様子(左から2人目が森田さん、中川さん、遠藤さん、平野名誉教授)

原爆投下70周年で記念出版=惨劇の記憶、風化させるな=大学院生中川さんら企画=平野「政治的に落とされた」

 原爆投下70周年という節目の年の11月28日、サンパウロ市ジャルジン・パウリスタ区のヴィラ書店で、ポ語『Hiroshima e Nagasaki: testemunho, inscrição e memória das catástrofes(広島と長崎―惨劇の証言、記録、記憶)』(ベンジャミン出版、中川クリスチアネ、遠藤パウロ編著)の出版記念会が行われ、約50人が詰めかけた。当日講演したブラジル被爆者協会の森田隆会長(91、広島)は「今年は特別に講演依頼が多い」と当地での関心の高まりを実感しているという。


 この本は、2012年9月11日から10日間、USPで開催された同名のセミナーの内容をまとめたもの。森田さんが原爆体験を語ると会場からはすすり泣きする声が聞かれた。
 「広島原爆―狂気の理性、(破壊)能力の誇示という行為」との論文を同書に寄せた平野セイジUSP名誉教授は約35万人の広島市に落とされた原爆により10万人の市民が瞬間的に爆死し、同数が致命的な重傷を負ったと言われる惨劇の必然性に疑問を抱く。
 ウィリアム・リーヒ米海軍元帥が著書の中で原爆投下以前に日本はすでに事実上、降伏寸前だったにも拘らず、女子供まで虐殺して戦争に勝つ考え方に疑問との内容を挙げ、平野氏は「原爆は戦略的でなく政治的決断で落とされた。史上最強の兵器を所有していることを誇示して、戦後有利な立場を築くためだったに違いない」とのべた。
 本出版を企画したUSP心理学研究所で博士課程の中川さん(33)は「それまでは政治亡命者の心理的外傷を研究していたが、09年に広島の原爆資料館を訪れ、被爆者の証言を実際に聞いて心を揺さぶられた。世界で一番日系人が多いブラジルで、原爆の記憶が風化しようとしている現実を痛感し、テロや大量殺戮が問題になっている今こそ思い出さなくてはいけないと考えた」と説明した。
 被爆者協会の渡辺淳子理事によれば「講演依頼は毎年増えていて、去年は20回。でも今年は終戦と原爆投下70周年で40回にも増えた」と関心の高まりを証言した。大半はブラジルの中高校や予備校の歴史教師が申し込むという。
 投下時に憲兵をしていた森田さん、原爆で母姉を失った盆子原国彦副会長(75、広島)、渡辺理事(73、広島)3氏が各自の体験を語る形で通常は講演をする。
 盆子原さんは「日本よりも反応が強い」という。例えば「アメリカをどう思うか? なぜ今からでも米国政府に治療費を請求しないのか」「アメリカに復讐したいと思わないのか」という質問が頻出する。それに対し、渡辺さんは「復讐をしても平和は訪れない。この話を聞いて、平和な未来を築くためにどうしたらいいかを、みんなで今考えてほしい。そう呼びかけると共感してくれる。今までよりも踏み込んだ平和への意識を持つようになる。それが私たちの役割」と頷いた。
 ヴィラ書店のイベント会場には50人以上が集まりほぼ全員が列を作って購入し、平野教授と3人のサインを求めていた。


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 USP元副学長の平野セイジ名誉教授は、講演の中で自分の名前の由来について「インテリだった父は、日本の出版会の有名人ノマ・セイジからとった」とのべたの聞き、〃雑誌王〃野間清治だとすぐに分かった。講談社の創業者であり、昭和前期の出版業界を牽引した人物だ。父はインテリゆえに負け組で、終戦後は人目を忍ぶようにサンミゲル・アルカンジョの山奥で炭焼きをしていたとか。以前、平野氏に名前の漢字を聞いたとき「知らない」との返事だったが、どうやら「清治」が正解のようだ。
     ◎
 米国陸海軍最高司令官付参謀長だったウィリアム・ダニエル・リーヒ氏は、原子爆弾投下に対して批判的でその回想録には《日本上空の偵察で米軍は、日本に戦争継続能力がないことを知っていた。また天皇の地位保全さえ認めれば、日本は降伏する用意があることも知っていた。だがトルーマン大統領はそれを知っていながら無視した》、さらに《アメリカは原爆を投下したことで、中世の虐殺にまみれた暗黒時代の倫理基準を採用したことになる。私はこのような戦い方を訓練されていないし、女子供を虐殺して戦争に勝ったということはできない!》(ウィキペディア2日参照)と書かれている。まったく酷い話だ。

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