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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(69)

寿命が尽きた土

 次が土の疲弊である。
 これも、すでに記したことの繰返しになるが、北パラナが多くの開拓者を惹きつけたのは、その豊穣な大地であった。太古以来の大原始林が養い続けたテーラ・ロッシァの肥料分であった。しかし、それは、当然ながら永遠ではなかった。人間が植えた作物が、その肥料分を吸い取り続けたからである。肥料分は25年から30年でゼロとなった。その後は、ただの土となった。
 アサイの場合、その開拓開始は1932年であるから、初年度に作物を植えた土地は、1957~1962年に、その時期が来た。以後の開拓地も、それを追う様に寿命が尽きた。
 綿がオーロ・ブランコと呼ばれた時期に、ほぼ重なっている。従って実は、そのオーロ・ブランコ作りは、化学肥料と農薬に頼っていた。一時的には、それは効果があった。が、そのうち副作用が出始めた。1970年代後半からビグードという害虫が発生したのも、そのためと言われる。ビグードによってアサイは勿論、北パラナの棉は滅ぼされたという人もおる。
 これまた、化学農法と害虫の因果関係は専門家に任せるが、
「人間が肥料分を略奪し尽くしたテーラ・ロッシァによって報復された──」
と自嘲する声もある。
 土と同様、人間の営農を続ける気力は、痩せ続けた。

弁護士

 さらに弁護士。これも営農を続ける意欲を大きく削いだ。
 前章で少し触れたことだが、この国には、以前から農村の労務者を保護する労働法があった。が、内容が非現実的で、雇用主側は履行しなかった。しなくとも、誰も問題にはしなかったのである。俗にいう死文化していた。死文化した法律など、ほかに幾らでもあり、生き返るなどとは思っていなかった。
 ところが、1960年代末以降、生き返ったのである。アサイに限らず、農業地帯では至る処で、労務者が雇い主を告訴するようになった。
 労務者は法律のことなど判らなかった。しかし告訴は広く一種のブームになった。これは弁護士が扇動したためである。
 労働者政党が労働法の履行を叫んだのがヒントになった。弁護士たちは、絶好の稼ぎ場であることに気づいたのだ。しかも、主に日系農業者を狙った。「ジャポネースはひ弱で与し易い」と見たのである。カモだったのだ。弁護士たちは、農業地帯の道路脇に車を停めて待ち、労務者が通りかかると、こう話しかけた。
 「どこで働いているか? ジャポネースの処? オーチモ! どんな仕事をしているか? 賃金は幾ら貰っているか? 女房や子供の手当ては? どんな家に住んでいるか? 何十年働いているか? それは労働法に反する。お前は損をしている。告訴せよ。大金が入る」
 労務者は釣られて、一切を弁護士に任せた。裁判になると、殆ど彼らの勝訴となった。敗訴した雇用主が受けた打撃は小さくなかった。払わねばならぬ金額は、農地の何割かを売らねばならないほどだった。
 「長年可愛がってきたカマラーダに裏切られた!」と悔しがる農場主が少なくなかった。しかしカマラーダに……というよりも、実際は弁護士に隙を突かれたのである。払った金は半分くらいを弁護士が懐に入れた。これで巨額の財を築いた者すらいた。
 「悪徳弁護士が!」
と、怨念を込めて罵る声がアチコチで聞かれた。マズイことに、その弁護士たちの中に日系人が居る地域もあった。それを見て、皆、唖然とした。日系弁護士というのは、そもそも、法律に弱く損害を受けがちな一世移民の農業者を守るために育てられた──という歴史的背景があったからだ。

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