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『百年の水流』開発前線編 第一部=北パラナの白い雲=外山脩=(73)

 戦争が終わると、禁止令が解けてもいないのに再開、教員会までつくって半ば公然と活動した。
 ために1951年8月、州政府の学務局から停止命令が下った。それでも続けようとし、学務局と交渉して始めた。が、再停止命令を受けた。ところが、なお諦めず、学務局内に協力者を確保、合法化の道を見つけ継続した。
 それほど執着した日本語教育も、今や風前の灯と化している。すでに2校しか残っていないという。それも、生徒数はごく僅かである。主因は日本語を学ぼうとする子供、学ばせようとする親がごく少なくなっているためだ。

10年前までは教育勅語奉読

 かくの如く日本色は消えつつあるが、実はこのアサイには、10年前まで、教育勅語を奉読していた区があった。
 前出の嶋田巧氏によると、氏が住むカビウーナ区では、祝日には区の文協で、天皇・皇后両陛下の写真を飾り、教育勅語を奉読、子供たちに聴かせていた──という。
 別の機会に「ほかにも1970年代までは、そうしていた区があった」という話も耳にした。
 日本の様に、左翼がヒステリックに騒ぎ立てないので、良いモノは良いと継承していたに過ぎない。無論、日本で教育勅語が葬られたことは知っていた。
 嶋田さんによると、
「奉読を止めたのは、意味が判らない子供たちが殆どになったから。ポ語に訳して続けたら……という声もあったが、ポ語では……」
という。ポ語では勅語の、あのリズム感と格調が出ない、という意味であろう。今では、勅語も両陛下の写真も、箱の中にしまったままという。

非日系の市長が城を建設

 こうした中、2015年、アサイの市街地の高所に、日本の城が姿を現している。前市長のボン・テンポさんが、連邦政府の文化財保護のための予算を確保、建設し始めた。
 ボン・テンポさんはイタリア系で、アサイで大きな機械工場を経営している。城の建設は、クリチーバ在住の山下亮さんがボン・テンポさんから相談を受けて、咄嗟に思いついて提案したという。
 日本色が急速に消えて行く中、非日系の市長さんが、こういう仕事をしたという事実に、筆者は小さな衝撃を受けた。
 この城、すぐそばで見た時は、小さな天守閣のみで郭や櫓もなく、周辺の雑多な建築物も邪魔な感じで、疑問に思ったが、後でルイス井上市長から人を介して提供を受けた市役所所蔵の写真を見ると、ハッとするほど印象に残った。城は、ある程度の距離を置いて見た方が良いことを知った。同時に、消えつつある日本色が蘇ったような気がした。


伝説の無法の町と日本人神父

 以下は、これも余談、それもやや長い余談となるが──。
 2014年、アサイを訪れ、知人宅で地元の人たち三人と、雑談していた時のことである。一人が、こんな話をした。
 「ここから南へ行くと、サンジェロニモという町があって、昔、バンギバンギで有名だった。ピストレイロがゴロゴロ居た。ジッカ・ジアゴというあだ名の男がいて、いつも『俺は、もう駄目だ』と呻いていた。殺した相手の幽霊が出るので眠れない、と言って……。麻薬を腕に注射していた。薬が切れると、手をブルブル震わせていた。
 彼は7、8人殺した。10人は越えていない筈だ。1980~81年頃、警察の留置場で首を吊って死んだ。殺されたという噂もある。ジッカ・ジアゴのことは、映画にもなった。
 今では、バンギバンギはないが、セン・テーラの運動をしている日本人の神父を脅している男がいる。自分は、その男から直接、聞いた。『俺の土地に手をつけたら殺すゾ』と、神父に凄んだそうだ。が、度胸のある神父で、そんな脅し、受け付けない。危険な処にもドンドン行く。ライ病患者の世話をしている」
 別の一人が「サンジェロニモの墓地を掘ると銃弾がゴロゴロ出るそうだ」と、笑いながら言った。死骸が土になった後、その体内にあった銃弾が土の中に残っているという意味であろう。

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