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チエテ移住地の思い出=藤田 朝壽=(12)

 周りに誰もいないベンチに腰かけて勢い話は本のことになる。何と言っても今日の掘り出し物は「金子薫園の短歌の作り方」と私が言えば、いや 谷崎潤一郎の「文章読本」もいい、と品次君が言う。
 ウニオン区の青年たちが見おとしてくれたお蔭で我々の手に入ったのは運が良かった、と喜び合うのであった。
 閉店時間も近づいた。冬の日は暮れるのが早い。バールに入って千代吉さんは六人分のサンドイッチを作らせ、アンパンも買う。商店の扉を閉める時間になったので大急ぎで鈴蘭商店へ駆け込むように入る。大内君と鈴江君は馬の置き場に行く。
「貴方たちが来るまでにボール箱の本は計算しました。これだけになります」と紙片を渡される。
 千代吉さんは胸のポケットから手帳をとり出して照らし合わせて「奥さん、ピッタリです」と言って上着の内ポケットから札束をとり出して支払う。
「サア、これから荷作りだ」二つの大きなボール箱を廊下に引きずり出して、十二等分にする。大内君が棉の空袋を持って来たので、振り分けの荷は出来た。
 馬を曳いてくると言って三人は出て行った。
「先ほどからお聞きしたいと思っていたのですが、この本はどこから手に入れて来たのですか?」と私が尋ねると「この本はねえー藤田さん、昭和十六年の最後の移民船で運ばれてきて陸揚げしたのですが其の頃、日米間の雲行きが怪しく、いつ開戦になるか知れない状態で、当局から日本書籍の発売禁止令が出ることが分かっていたので梱包のまま、ある邦人商店の地下室の倉庫に蔵ってあったのを貨物自動車の下敷きにして運んで来たのです」と言われるのであった。
「四年間も地下倉庫に眠っていた梱包の書籍が、チエテ移住地で初めて日の目を見たわけですねえー」と私が言うと、
「藤田さん、なかなかうまいことを言われる。ウニオン区の青年たちは、俳句の本をどっさり持って行かれたが、貴方たちは短歌の本が多いのねえー」
「僕たち、今、志津野華絵先生に就いて短歌を作っているのです」
「そう言えば、華絵さんはアレグレの方だったわねえー、趣味として短歌は最高よ、年とっても独りで楽しむことが出来るのですから、しっかり勉強して佳い歌が作れるようにー」と言って励まして下さる。
 奥さんと話しこんでいる間に馬を曳いてきたので、馬に乗って待っていると、力自慢の鈴江君が振り分けの荷を皆の馬の背に乗せてくれる。
「馬の上から失礼します」と断って、奥さんにそれぞれ礼を言い、鈴蘭商店を後にした。大通りには人影もない。
 馬も早く帰りたいと見え、おのずと早足になる。闇の中に幹線道路だけが薄白く見える。帰りは馬まかせである。
「オイ 冷え込まない中にオーバーを着た方がよい」と千代吉さんが言う。
 それぞれオーバーを着る。
「そうだ。明日は六組と七組の青年たちに本のことを知らせてやらねばならない」
「梱包の歌集は日の目を見た」私は独り言ちた。
 空を仰ぐと内陸の冬の夜の星は私たちを祝福するがに満天に光りきらめいていた。
   鈴木 千代吉  二十二歳 高等科卒
   鈴木 品次   二十二歳 中学二年中退
   吉川 順丸    二十歳 小学校卒
   藤田 朝壽    二十歳 小学中退
   大内 宗篤    二十歳 小学中退
   鈴江 恵     二十歳 小学中退
               (おわり)

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