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エボと言う厄介な〃災難〃=無期限大統領は事実上の君主=政敵の逮捕、投獄、暗殺も?=パラグァイ在住 坂本邦雄

開国以来の長期政権に向かうエボ・モラレス大統領(Foto: Freddy Zarco/ABI)

開国以来の長期政権に向かうエボ・モラレス大統領(Foto: Freddy Zarco/ABI)

 エボ・モラレスはこの年初に3期目の再任を果し、ボリビアの大統領として満10年の在権レコード・ホルダーとなった。同国をシモン・ボリバルが1825年に解放・開国以来、歴代為政者の中で最も長い在権歴の大統領と化した。事実、ボリビアは昔、いつも中々政治が治まらず政権の交代が激しく、資源が豊かなのにも拘わらず国の発展は進まず、日本のある外交官が「ボリビアは黄金の椅子に座った乞食だ」と評した事がある。エボ大統領の任期が済むのは2020年で、無事に終わればかつてない連続15年の長期政権となる。

 ところがこれでも本人はまだ物足りず満足はしないのだ。その期限が来れば又の再選に意欲を燃やしているのだ。世代リレーやエリートの交代登用などの話にエボは興味がなく薄笑いする。
 ちなみに、2025年の建国200年祭の奉賀式典を大統領最後の任務として全うしたい意向から、エボ・モラレスはその為の再選(4期目)を目指し、既に4回目の国民投票に訴える可能性を探っている。
 しかし、その後も再選の欲望は止まる事を知らず、更に次へ次へと続くであろう。大統領職はエボ・モラレスには大変快適で、ケマド宮殿の居心地は決して捨てたものではないのだ。
 彼は法律を知らず、経済や歴史にも疎い。DEA・アメリカ麻薬取締局の頭痛の種だが、エボには「スバらしい無限の効能があるコカ」の栽培増進以外の事は何の知識もないのである。
 しかし、それはチットも構ったことではない。所詮、国政に事実上当ってくれているのはアルヴァロ・ガルシア・リネラ副大統領なのである。
 副大統領は驚くべき革命家としての経歴を持つマルクス主義者で、数学と社会学の博士号を有する大学教授である。
 このガルシア・リネラ氏が大統領の政務を補佐している間、エボはあちこちで顔を出しては愛想を振り撒いて、サッカー競技に参加したり、冗談を言ったりして大いに人生を楽しんでいる。
 エボ・モラレスが示す統治欲には病的なものが見られる。正にプラトニックな主我主義の具現者である。そして憲法を二回も改正した。
 しかしエボが希望する前述の4回目の国民投票が実現すれば、改めて憲法条項修正の要なく、もう無期限に大統領再選が続けられる事になり、古代の君主の様に〃王の寝台〃で臨終を迎えるであろう。
 果たしてその夢は達成するであろうか? どうなるかは未知数だが決してそうなってもらってはならない。

急に膨れ上がる政府支出

 エボ政権下で政府支出はベラボウに膨れ上がった。エボが就任した当初は政府はGDP(国内総生産)の21・05%相当の公的支出に過ぎなかったのが、今では43・26%に増大した。
 それは、ラテンアメリカ諸国中でGDPに対し国民一人当たりの政府支出が二番目に高い事を意味している。
 そして、それが一番なのはエクアドルの44・17%で、ラテンアメリカで最も統治が善いといわれるチリ国は24・17%の成績である。
 ただし、そのような膨大な政府支出も、それが正しく管理され、適切に使用されているのであれば、さほどの問題ではないのだが、遺憾ながら事実はそうではないのである。
 「国際透明グローバル市民社会団体」の調査による「腐敗認識指数」の世論調査では、ボリビアは《頭から危機に落ち込んでいる》現況だと言う。
 多分、先述の〃国民投票〃の後でのエボの評判は落ち込むであろう。
 人民派(大衆迎合主義)のエボ・モラレスとその副大統領は、自由経済それに自由市場の価値すらも容認はせず信じもしないだろう。
 彼等は取り巻き連中を重用する国家統制主義者であって、国の幾つかの基幹産業を没収し国営化した。
 そして、キューバ秘密情報機関の支援の許にかの忌まわしい「新21世紀社会主義」の処方箋(レシピ)を受け入れ、政敵の逮捕・投獄、流刑(国外亡命)や、あまつさえ政治暗殺等さえ敢えて犯すのである。

急降下の自由経済指数

 エボ・モラレス政権が就任した当時、ボリビアは「文化遺産財団(文化財保護・芸術研究助成財団、Heritage Foundation)」の資料では、その自由経済指数の格付けで「適度な自由経済国」として認められていた。
 それが、今日に至っては〃ビリッケツ〃で、ボリビアは「抑制経済の国」にランクされているのである。
 これは絶対に間違いのない災害の為のレシピ(処方)に他ならない。
 幾つかの例を見るだけでも明らかな様に、高度のレベルの事業開発には必然より大きな経済の自由と開放が前提条件である。
 しかしエボ政権最大の罪は、機関制度分野とボリビア国の親密な内面の細胞構成に関わる問題にあると思われる。
 ボリバルが理想とし、ヴィクトル・パス・エステンソーロが1952年の統一革命で実現しようとした、法の前に平等で立憲愛国市民の固い団結による共和国制に対し、エボ・モラレス大統領が就任を契機に革命政策の一環として、国名を「ボリビア多民族共和国」と改称したのは正に純粋なボリバル精神に反し、横槍を突いたものだ。
 エボ・モラレスは、コロンブス以前の野蛮な激しい敵対的な小世界の時代にボリビアを引き戻した。
 でもその野蛮な昔と云えども、欧州の征服者の暴政がなかったならば、本来は部族同士の平和な連合を組織できる至福の人々だったのである。
 ボリビアが、シモン・ボリバル解放者やアントニオ・ホセ・デ・スクレ元帥(1826年にボリビア国の最初の憲法を制定、発布した)が理想とした共和国の近代的構想をエボは理解できなかった。
 それは、インカ族のトゥパック・カタリの幻想の権化とも掛け離れたものである。
 来る2月21日にエボは早々と国民投票に訴えて第4期大統領再選の可能性を確かめる。
 それによって果たして、エボと称されるボリビアの災害の失効期限は何時になるか、又はエボの権力の座の恒久化が成就するかどうか、もう直ぐにハッキリするであろう(註・本稿はキューバ出身のスペイン人で当地ABC紙に常時寄稿するジャーナリストで著述家でもあるカルロス・アルベルト・モンタネル氏の1月23日付記事を抄訳、参考にしたものです)。

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