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ニッケイ歌壇(512)=上妻博彦 選

      サンパウロ      武地 志津

なお続く地震活動見舞う雨土砂災害の不安は消えず
土地ずれて畠触れぬと農民の苦悩の表情ただに痛まし
駆けつけしボランティアの人々ら散らばる瓦礫順次片付く
水道電気ガスと息つく暇もなく励む復旧作業員は
水にガス復旧成りて表情のふっと和らぐ避難の民ら

  「評」髪をととのえてくれる人も現れた、櫛と鋏とバリカンを携えて、避難民の高齢者のもとに、この人達の久しぶりにさっぱりとした笑顔を見たいが為に。その双方を見て目頭が熱く潤んだ。こうして、あの戦場の復旧も成し遂げた民族であると。

      サンパウロ      相部 聖花

捨てがたき良書なれども時は過ぎ再生紙用箱につめ込む
身に国旗まといて罷免の投票する議員は愛国者なるやいぶかる
花火上げ罷免の数に熱狂する民よ平和への過程知るべし
酸素吸入必要とする友のいて心痛めつつ我れ深呼吸す
余生にも生き甲斐あるべし朝一番庭の植木のたたずまい見る

  「評」真摯に作歌に取りくむ姿勢に反省させられる。無駄のない、余韻のある作品、特に五首目に心ひかれる。

      サンパウロ      水野 昌之

九十を過ぎれば前途は知れたもの元気のうちにデモに加わる
近づけば引き込むように誘われて関心もなくデモの一員
暴徒化するデモの一群に発砲の硝煙広がり悲鳴を包む
デモ隊が去りし街路に踏まれたるジウマ罷免のプラカード散る
反政府デモに加わり一日暮れ短歌一首詠み市民に戻る

  「評」元メディアの血が滾るのかも知れない。『関心なくもデモの一員』の『引き込む』様には『吸われる様に誘われ』が普通なはず、なのにそこが面白い。結局は五首目に落ち着くのだ。

      サント・アンドレー  宮城あきら

東日本震災から五年悪夢かと熊本の地を激震襲いく
震度七不気味に走る活断層直下に搖れて家並み無惨に
熊本城天守閣の屋根なだれ落ち石垣までも肌むきだしに
大搖れに家屋倒壊犠牲者の圧死ニュースを胸つまり聞く
熊本の友はいかにか応答なきメール待ち詫ぶ余震止まぬ日

  「評」「これバッカイは宿命なもんで」と静かな笑みで答えた人を見た。誠に日本列島の上に生命を受け継ぐ民の姿を見た。熊本城復旧には十年を要するの記事には胸にこみ上げる思いだ。早く鎮まるを祈るのみ。

      サンパウロ      水野 昌之

思い立ち移民資料館へ歩を運ぶそこはかとなく哀愁よぎる
移民船の模型を飾るガラス棚そっと触れたりただ懐かしく
耕せし少年時代を憶いつつ展示の農具にしばし佇む
セピア色に写りし移民の一家族農衣が晴れ着か面映ゆく見ゆ
古びたる額に納まる先駆者は年代順に過去を抱きをり

  「評」『異国』で親に従い耕した少年達の姿を彷彿とさせて余りある作品。特に二首の『ガラス棚そっと触れたり』また『農衣が晴れ着か…』この人達が今、真のコロニヤの記憶を灯しつづけている。

      サンパウロ      遠藤  勇

採血の針血管を貫きぬ肉裂く激痛全身走る
年齢と共血管細く深くなる探し探れど捕まえ難し
一年の健康管理作成に先ず第一に血液検査
血の検査検便検尿異常無し通知を受けてほっと安堵す
時折は故障もしたが九十年動いた身体親に感謝す

  「評」『身体髪膚これ父母に受け敢えて疵(きず)つけざるは孝の始めなり』健康管理こそが、孝行の始めだと、しみじみ思わせる。氏の作品、五首目につくづく感じた。

      サンパウロ      武地 志津

悪事ばれ知らぬ存ぜぬと白を切る厚顔無恥のブラジル政治家
稀に見る貌頼もしきモロ判事意志の強さと正義の眼差し
モロ判事汚職事件の担当と思うに任せぬこと多からむ
プレージオのテラスに吊るすブラジルの国旗目を引く「チラデンテス」の日
此の先は腐敗政治真っ平と国旗に託す庶民の願い

  「評」四、五首に静かに真からのこの国の庶民の声が聞こえるに、である。目を閉じて思うに、この国の国旗と、日の丸が一番心に沁みる。

      サンパウロ      大志田良子

いつ見ても熟連館の地蔵様月二、三度の逢瀬たのしむ
NHKニュースにも大きくデモ行進大統領罷免世界の注目
突然におこる大地震如何にせん吾ら同胞悲しみ胸に
NHKニュースは予震をくりかえす九州地方災害甚大
訪日時熊本城を参拝す瓦とびても姿安泰か

  「評」対象の捉えどころ、注目させる作者。心を落ちつけ推敲される様にされたい。字余りを縮めた。

      アルトパラナ     白髭 ちよ

幾年も咲かぬカトレア今日咲きて匂いゆたけくサーラを飾る
一鉢に三つ目の花を咲かせいる白きカトレア吾にも元気を
突然に熊本地震の様写りテレビの前に釘付けとなり
被災者の余り多きにおどろきて地震おさまるをただ祈りをり
五年前の災害今だに整わず又も大地震日本は悲し

  「評」日本人の血が流れてやまない、この国生れの作者なればこそ、五首目の『日本は悲し』と溢れ出るのであろう。そして『ただ祈る』作者が在る。

   サンジョゼドスピンニャイス 梶田 きよ

しのびよる眠気拂いてふと耳をかすめし歌友のなつかしき声
わが住みし京の想い出壬生寺の朝市に行くのが楽しみなりき
心のこもる批評また読むたのしさは何故か心が引きしまるなり
長い間心の支えとなりし歌ついの日までも続けと希う
こんなにも長生きするとは予想なく吾のひと世は短歌のおかげ

  「評」今頃よく、京の物語などNHKに放映される。日本人はあの言の葉の美しさを忘れるなと言っている様だ。二、三日前、壬生寺での狂言も放じていた。京都は美しい。

      ソロカバ       新島  新

蠅叩片手に厨房に半時間ほど二十匹は叩き潰したか
止まってる所に因っては叩きもならず蠅もなかなか狡賢いぞ
叩いても叩いても次から次と蠅の奴ほんに五月蠅え奴よ
フェアーなプレーを褒められしスポーツ界の相次ぐ不祥事
野球の言わず現状は凡ゆる競技に絡まっている賭博

  「評」特異な視線で捉えるところが、痛快な作品を産む。ほんに叩き潰したい物事が溢れる世界となって来た。

    サンミゲル・アルカンジョ 水田 玉水

ミニサイアの麗人来たりぬ悦びの風情を身にただよわせつつ
斗いを踏まえたる我が議論をも父に似て来し性とぞ思う
貧しさに耐えゆかん日日のさびしさに小犬としばし戯れていき
未開地を吹く風寒く大陸のきびしさを悟る日本人われ
創生紀の苦しみ偲ぶ開拓に疲れし魂明日を望みぬ

    サンミゲル・アルカンジョ 織田 真弓

だみ声をはり上げ歌うカマラーダの小屋にも月の光はやさし
訪いくれば土壁剥げし友の家青空見ゆるを淋しみて坐す
外出の当てなどなけれど派手な服着て見るのみに吾は華やぐ
賛同を集めしつつじ散りゆきて足音もなく春は深まる
紅色の花びら水に放ち遊ぶ子等の廻りに秋の陽は満つ

    サンミゲル・アルカンジョ 徳永 京子

去る者は疎くなりつつ花たわむプリマベイラの季節想い見む
辞書の字は拡大されて虫眼鏡移せば黒き掌のしわ
双六のサイコロは亦も逆もどりはるばると錯誤の路ゆきしかな
ほうちくにはぜる胡麻粒怒りても何程もなき吾が身たりけり

    山口すえ子

帰化手続き終えたる夫の饒舌のなかにひそめる寂しさに触る
久々に帰省せし娘は吾が留守に白菜漬けて帰りゆきたり
音高く空鑵転がす風ありて捉えがたき不安ひろがりてゆく
薬草に親しむ日多しいまひとつ大ぶりの土鍋買わんと思う
唐突の娘の婚約を語る歌友の五つ六つは老けし顔して

  「評」以上四人の作者は、先号と同じく四十五年も前の農村の歌詠み仲間で整った作品を書いてくれる人達だった。筆者迂闊にもその後の消息を不明、お分かりの方、御一報下されたく願い上げます。上妻博彦

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