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自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(14)

 その間、千年さん、瞬き(まばたき)出来たかどうか、茫然としていた。姉の玲子さんが、後を追ってきた愛子さんと二人で、こちらに手を振って、家の方へ消えて行った。
 この一瞬の出来事は、千年の生涯でも、忘れ難く脳裏に焼き付いた一事となった。母国の娘さん達に出来る技では無いと、この時ばかりは度肝を抜かれた。貴重な体験となった。
 いやはや、話には聞いていたが、野生のウサギやワニなど、日本では考えられない野生動物を平気で殺し、その上、料理までするとは、かの有名な小野田少尉殿のほかにはいないと、それまで信じていた千年君でした。

第三章  「赤い大地の月」 

 完二おじさん招待の食事会は、娘たちのアイデアが、想わぬ方に進み、千年君も野口君も「どぎまぎ」。それでいて、楽しい雰囲気は知らず知らずと続き、気付いた時には夜半になっていた。坂の上のパトロン岩下家までは聞えまいと多寡をくくって、はしゃいでいた。ところが、実は聞えたらしくパトロン直々、用心のために馬に乗り、猟銃を担いでランプを馬具に下げ、迎えに来られた。
 これで勢い付いた完二さん。甥の岩下氏を引き込み、また浪花節を唸り始めた。娘の玲子が笑いながら「伯父さんはパパイの一つ覚えは聞きあきてるよ」とからかっていた。完二さんは余程嬉しいらしく上機嫌である。「これは、これは、君達も中中やるね」と、まんざらでもないご様子のパトロン。テーブルのうえを、じーと見ていたが、干物に気付き、「ふーん千年君、これ喰ったか。君達、どうだ美味かったか」と聞いてきた。
 すると千年君は、すかさず答えた。
「ええ大変良いものですね、こちらも。ブラジルは食べ物が豊富とは聞いていましたが、中々美味しいですね。スルメより味がありますね」
「おいおい、お前さん達。何も知らずに喰ったのか。で、どのくらい食べたんだ」
「なあに、二人でほとんど食べた」
「そりゃあ大変だ! 明日は鼻血がでるぞ」
 それを聞いていていたおばさんは、笑いながら「与一さん(パトロンの名)。家の娘が、この人達のために、特に腕により掛けて作ったとよ。まァ、食べてくれて有難うネ。良かった、良かったわ」とうれしそう。
「さァて、ぼつぼつ帰えろか」とパトロン。
 ランプ片手に馬に乗り、岩下さんが先を行く。後ろに青年二人がついて行く。家は目と鼻の先である。青年は顔を見合わせ、「毒蛇(くちなわ)は美味かったばってん、大丈夫じゃろうか」と先ほどの顔色は消えていた。
「それにしても、野口君よ。俺ゃぁ驚いたばい。あの可愛い娘達が、俺の一番苦手な、『くちなわ』を手掴みにするとは。やっぱり、ここはブラジルばい。ブラジルの女子は恐ろしか。うっかりブラジルの娘にゃ手出しは、いかんばい。気いつけんといかんね」と千年青年。
 そして、無事に半年が経った。まことに良きパトロン岩下与一氏にめぐり会った。日本で艱難辛苦の生活から希望と大望の夢を抱き、心機一転ブラジルに渡り、いかなる暮らしが出来るのか不安を抑えて乗り込んだこの地。
 いかなる試練も堪えて見せる。そんな覚悟で大海を渡り、着いたところは、至上の楽園に等しい、正に幸運あふれるピエダーデ郡。ところが、期待膨らむ岩下与一氏農場と、仲の良かった完二さん親娘の家族達と、泣きの涙で引き裂かれる事態発生である。

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