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自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(31)

 いつの間にか見知らぬ市場の先輩らしい人が、親しく声を掛けてきた。彼らが「そこらでコーヒでも飲みますか」と誘ってくれた。
 彼に付いて行って、コーヒ店で色々と話してくれた。どうやら、この人は宮城県人の様だ。中々話が面白い。「朝から油を売ってたんじゃ、商売にならん。午後からでも、ゆっくり聞きましょう」と話を切った。
 彼の名前は今野吉郎だそうな、しかも千年と同じコチア青年ではないか。
 サー、彼が千年(ちとせ)太郎の今後の人生行路に大きく関わって行く。午前十一時、彼が来た。「今野さん、えらい早いなぁ。昼飯済んだの」
「なーに、昼飯なんか、いつでも食えるたい。おーい、シェルべージャ(ビール)」
「おいおい、真っ昼間から飲むの」
「ああ、ここは昼でも朝でも構わんよ。千年さんあんたはいける口かい」
「ハイ、少しは」
「そりゃ良かった。ここの仕事は朝四時から九時ごろまで。だから、今日の仕事は、お仕舞い。明後日の朝まで仕事はしないよ。それがここの仕事たい。もう仕事はなか、お仕舞い。ジャンジャン飲みましょう」
「それでも品物は仕入れにゃいかんでしょうが」
「そりゃあ、そうじゃが、慣れてきたら百姓が持って来るから、それを売ってやりゃあ、ポルセンタージ(歩合)が取れるけん。心配はいらん。それにあんたは、まだ仕入れに慣れちゃあ、おらんけん。俺がうちに持って来るトマトとかキュウリやら、色んな物をあんたに回してやるたい」
「初日からこれは偉い人に恵まれた。じゃあ、私も一杯いきすか」
「よーし、遣ろう遣ろう」
 千年太郎も飲めない方じゃない。年齢はどうやら同じ年、気も合いそうである。
 すっかり親友気取りの御相手が出来て、上機嫌の二人。すっかり日本からの友人同様、それぞれの家庭の事情も丸で似たり寄ったり。趣味も同じようだ。これから先々頼りになると確信した。世間の事はサンパウロ方面まで地獄耳。なんでも詳しい今野さん。すっかり打ち解けて行った。
 そろそろ日も傾むき、市場内にも人影が見えなくなってきた。
「そろそろ、お開きにしますか」と千年が言った。
 今野氏が「千年さん、あんたはこれまで、中々世間に大事にされて、カンピーナスでも偉い人達とかなりの付き合いをして、ここに来た。文協の会長とか、元会長の世話らしいが、随分金も貯めて来たんじゃないの」
「いやいや、私はその反対よ。店開きにかなりの資金が、予想以上に掛ってカンピーナスの有志に都合して貰いました。それで、何とか形だけは整えましたが、これから配達等を考えると、まだトラック一台位は買った方がええと、言う人達が居りまして、近いうちに何とか考えんと、と頭痛めいておりますたい。まだまだ、お金のかかる事ばっかり。今までも大した金じゃないが、子供が大きくなってからの学費と思って、たった二つ三つのダッタ(宅地)を売ろうかと思っていたが、これは子供や家内の猛反対にあい、家族にゃ言わんが近い内に売る事にしました。今すぐじゃないが、買い手のあるうちにと、世話する人もあって売る事にしました。この金が入れば、何とか小型の古いの車は何とかなると、やっと気が楽になりました。まだ家内には話していませんが、話したら喧嘩どころか、内輪戦争に成りますよ。わっはっはは」と豪傑に笑い飛ばしたのが太郎の油断、後々まで後悔するのであった。

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