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自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(22)

 矢野養鶏部長さんから「今後は千年太郎君によろしく頼む」と、一度だけ連絡が来て、その後は業務連絡だけ。後は木村場長着任以前に逆戻り、何とも悠長な時代では有りました。
 ところで彼の生まれついての信念は「成せばなる」。そこらが並みの人間ではなかった。たったの一年半で見事「採卵養鶏用」、雛(ヒナ)の生産出荷体制を整えたのであります。サンパウロ州内ノロエステ沿線バウルー、アラサツ―バ地方、ソロカバナ地方等々サンパウロ州奥地全域の養鶏農家に貢献出来た様である。
 彼の持論は「仕事は楽しい、嬉しい。ただ今現在が最良の日々で有ります」。何事にも動じず、テキパキと対処、実行力は持って生まれた美徳であろう。
 彼の資質はサンパウロ産業組合中央会本部の知る処となっていくが、彼は晴れがましい昇進など無頓着と言うか「おおらか」な変わり者。お月様見たいな存在が「自身の身分相応」と常に淡々としていた。

第四章 「愛を誓いし君なれば 永遠に君を愛す」

 サンパウロ州奥地ノロエステ線ミランドーポリス郡に、サンパウロ産業組合中央会の農事試験場開設に携わる事と相成った太郎。ここでも我慾なき獅子奮迅の活躍を果たす。太郎の移民人生行路はいかがなります事やら。
 さて養鶏試験場は軌道に乗った。順風満帆、太郎の業績は田舎の小さな町(ヴィ―ラ・ノーバ地区)では日系コロニア社会の世間話のネタと成り、日本の新来青年の噂はたちまち若い娘の好奇心を煽った(ちなみにこの地方にはその頃は戦後移民は珍らしかった)。
 当時の裁縫学院も例外ではなかった。誰とも知れず、連れだって学院帰りに種鶏場を見学したいと口実を作り、週末には度々三、四人連れ立て来る。どうも謀(はかり)事でもあるらしく、午前十時頃に遣ってくる。太郎は若い娘の御来客とあって、嬉しい楽しい週末と場長気どり。気分快晴、ボテコ(田舎の小店)の親父に色々な食べ物、飲み物を持って来させ、特別サービス。
 その上、種鶏卵にはオス鶏が必要なため、オスひなを日ごろから食用として余分に飼育しておいた(注=太郎はこの時点では組合には内緒の内緒)。不要のオス若鶏(約一羽一キロ半)四、五羽を手早く調理、お塩を軽く振りかけるだけの炭火焼き簡単なシュラススコ(焼き鳥)の出来上がり。
 これが町の娘さん達に大好評。月二、三度は来る様になった。こうなると町の狭い地区だ。小町娘が、千年太郎、ニホン製若人に猛烈アタック地区内の噂さ、知らぬ人なし。
 こう成ったからには廻りの地区内の長老が見逃す筈がない。早速、太郎に事の談判。男は結婚してこそ一人前だ。わしが仲立ちしてやろう。「選り取り、見取り」好きなのを言ってくれと、これまた「やいの、やいの」。これには太郎も嬉しさ余り「お願いします」と最敬礼をしたかったが、実は長老上野さんの孫(上野文雄君、二十才)は、太郎の片腕的社員。
 すでに近隣の娘の中から数人紹介をしていた。それに先んだって訊ねたマット・グロッソの井出利葉さんの娘、初恵さんも気に留めていた太郎は、嬉しい悲鳴に近いお話ながら、「待てよ、ここは思案のしどころ」とばかり、「全面停止」宣言。男をあげていた。
 図らずも、見知らぬ土地で周りの好意に内心感謝で、その夜は寝付けなかった。というのも五年前、単身家族、友人、知人に強気で「一攫千金」を仄めかし、勝って来るぞと勇ましく遥々(はるばる)古里福岡で吹聴してブラジルに来たからは「ここが思案のしどころぞ」と自問自答の夜長であった。

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