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自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(23)

 その翌日は日曜日であった。本日は非番になっていたので昨夜の分まで寝ていようと、思っていた矢先、朝早く玄関のチャイムが鳴りだした(注=この時分には新築の場長住宅に入居していた)。
 眼をこすりこすり、窓を開けてみると、上野文雄君が「もう九時ですよ。今日はどうしても行って貰わないといけないので迎えに来ました。外で待ってます」という。
 千年君は取りあえず、手元にあった作業着をはおり、外に出た。ところが正門とは反対の方角から手招きしている。「はてな鶏舎で何か災いでも」と急ぎ足で文雄君の後を追ってみた。ところが文雄君はぐんぐんと奥の方へ無言で進む。
「おいおい文雄君よ、何処に行くんだ。待て待て、何の用だ」。その声で文雄君が止まった。
「そっちはお隣の土地だぞ」
「解かっております。こっちから行くのが近いから、道はないけど畑の中を近道しましょう」
「なんだ、一体どこに何をしに行くんだ」
 文雄君が草むらの中にドスンと座り込んだ。
「いいですか、千年さん。うちの爺ちゃんが『今日は千年さんに、どうでも悪い虫がつかんうちに嫁を決めてやる』と息巻いています。うちの爺ちゃんは一度言い出したらテコでも動かんガンコ爺です。まだに日本は負けちゃおらんと、カチカチの勝組じゃけん、言い出したら千年さんの方が負けますよ。
 だから『今日の内に、爺ちゃんに内緒でサンタセシリア地区の娘さんを見せて来い』と家の母親がうるさく言うので、僕もそれが良かと思って、出て来ました。千年さん、どうせカーザ(結婚)するなら、爺さんに決めて貰うより、自分の好きな娘を決めた方が良かでしょうが」
「なーるほど、そりゃあそうだ。その娘はどこの人かね。この隣の畑の娘で、背が高く器量も良かと。この町じゃ少しは評判ですよ。表の本道を町の方から回って来ると、えらい遠回りになるのでここを横切り近道しました」
「ああ、そうなんだ。君はここ生まれじゃもんな。じャ行こう」
「あそこです。ああ、幸いおりますよ」
「だが待てよ。娘さんを見に来たとは言えんしね…」
「なーに、道に迷って来ましたといえばいいですよ」
「ああこの娘さん、確か木下綾子さんだね」
 文雄君が「この人は、隣に出来たグランジャ(種鶏場)の場長代理の千年さんです」と丁寧に紹介してくれた。
 太郎は「千年です」と頭を下げ、「のどが渇いてね。すみませんが、お水を一杯貰えませんか」と頼んだ。
 「「ああ、そう。水なら裏の井戸で、好きなだけ飲んだらよかたい」と娘、綾子さんは無造作に言った。太郎は水も飲まずに、文雄に「さぁ行こう」といって背中をむけた。文雄はあわてて、太郎の後に続いた。
「千年さん、あの娘は駄目ですか」
 何にも言わずに太郎は、今来た畑を帰り始めた。文雄は千年の機嫌を察した様である。
「千年さん、ちょっと待って下さい。あの娘(子)は駄目ですね。千年さんがあの子の礼儀知らずにムッと来たのでしょう。解かってましたよ。でもこのままでは帰られんですよ。もう一軒、こっちは駄目もとで、行くだけ行ってください。そこですから」
「よし行こう」
「あの鶏舎のある家です。あそこは父親を早く亡くし、母親が一人で子供七人も育てて、娘が四人も居りました。が、長女はアリアンサに嫁いで次の娘が確か二十三、四になりますよ。ああここです」

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