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自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(36)

 千年くんは素直に「解かりました」というと、二人で支店長室に這入った。
「支店長さん私は、ブラジル語が充分話せません。失礼があってはイケませんので、森沢さんに詳しく説明して頂きますがよろしいでしょうか」
「おお解かった。森沢さん聞きましょうか」
 森沢さんが流暢なブラジル語で話し始めたが、太郎君には森沢さんの説明は半分も解からなかった。
 しかし、支店長さんには随分解かったらしく、相槌を打っては、「はい、はい」と手ごたえのある応答で二十分位で終わった。支店長は何やら係の者に話して、「これからは彼(アントニー)と相談してください。所用があるので、これで失礼する」と丁寧に握手して、席を立って自室から出て行った。残った彼(アントニー)は、千年に名刺をくれた。そして森沢さんと話していたが、「千年さんが持って来た不渡り小切手を出してみなさい」と指図した。
 太郎は言われるままに出した。森沢さんは受け取って、笑いながら、「まァ、たくさん有るわね」と言いながら、アント二―さんに「お願い」と渡した。アントニーさんは、シェッキを受け取り、ニッコリ。「それでは、しばらくお待ちを」と言って席を立って、どこへやら行った。
 森沢さんが「千年さん、うまくいきそうよ。でも、百パーセントは無理らしいわ。出来るだけの交渉はして見ると言ってくれたわ。少し時間がかるかもしれないが、待ちましようね」と言って彼女も出て行った。
 かれこれ一時間くらい待った様な気がした時、森沢さんとアントニーさんが、真剣な顔で千年の前に座り、「千年さん、やはり全部は換金出来ませんでした」と言った。
 森沢さんが横でニコニコしながら、「千年さん、ウソよ。良かったワ、ほとんど現金になったのよ。パラベンス!」と手を出し、握手を求めてきた。するとアントニーさんが三枚のシェッヶを出して、「これだけは換金不可能です」と三枚を差し出した。気のせいか、千年の手が震えて見えた。
 千年がスックと立つや、アントニーさんの手をしっかり取って「オブリガード! オブリガード!」(有難う、有難う)を幾度となく繰り返し、隣の森沢女史にも同じことを繰り返していた。
 千年の目はうるんで見えた。そのような事があって数日後、今野吉郎氏(千年太郎の大親友)も一緒に彼女の家にお礼に行った。
 そこで彼女の家族を紹介されて、千年は驚いたのであります。「晴天の霹靂」とは、正にこの事であります。彼女の家族は、彼女が長女で兄弟妹が七人、母と須磨子さん二人合わせて九人家族で、弟妹七人を育て、面倒見て、皆な勉強も一人前にした。そのため、須磨子さん自身の進路と家庭の家計を一身に背負い、婚期を失してこの年まで独身を通してきたようである。詮索は無用だが、彼女の年齢は四十四、五に見えた。
 その後、森沢須磨子さんの口利きで、色々と窮地を切り抜け、千年と森沢家の間は親密になり、経理の相談も二、三度頼んでいた。千年の職場にも、時折顔を見せるようになった。そんな時、千年の親友、今野吉郎氏が「おい、千年。君は彼女をどぅ思う」と聞いた。さらに「どう思うかは勝手だが、あの女に手出しはしない方がいい。あの娘、美人であんなに親切だが、やさしくされて自分に惚れてると思った人間が酷い目に会ったと聞いた。なにしろ〃女史〃と呼ばれてる女だからな」と忠告した。

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