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自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(9)

 午前七時になった。移民船ぶらじる丸最後の朝食となった。日本的な雰囲気はこれが最後か。あと一時間で新天地、ブラジルの国土に踏み出す事となる。
 朝食後は、自分の身の回り品を下船に備えねばならぬ。昨夜の内に済ませてはおいた、手荷物すべてを持って看板に整列した。その頃、ウルグァイ、アルゼンチンに行かれる同船者との別れも。再会の機会が果たして有るのか。先ず望めない、最後の長旅の別れは、日本を離れる神戸港に等しい。お別れ情景がしばし繰り広げられた。
 取りもなおさず、これから先お互いのご健闘と幸運を期待、祈願のお別れ風景がつづいた。これからの移民人生を考えれば、自身で選択したとは言え、辛いひとときであった。
 岸壁にはすでに、かなりの人々が来ていた。我々を出迎えに来てくれたのか。移民船ぶらじる丸見物の人々かは解からないが、かなりの人出である。係員が乗船して来た。係員は甲板に整列して並ぶ青年百五十数名にまず、長旅の労をねぎらい、次いで下船の手続き、受け取る荷物等の説明、注意事項があって、一列となって、いよいよ下船である。
 心は焦れど、船との別れもまた辛く、感慨無量。とはいえ、複雑な郷愁めいた気分も束の間、タラップから第一歩、上陸と同時に暢気な気分など吹き飛んだ様だった。
 岸壁埠頭の倉庫内で、面々はそれぞれ自分の荷物を受け取り、すでにコチア産業組合差し向けのバス五台に乗り込んだ頃には、まるで十年も前にブラジルに来ていた様な気分の若武者振りであった。ブラジルは日本の正反対、一月といえども真夏の雨季とあって、朝から雨が降り続いていた。
 五台のバスに分乗、サンパウロ市に向かって海岸山脈の国道の急勾配を登り始めた。だが、バスは三十人近い青年とその手荷物は、はち切れんばかりの重さに、「ぐうぐう、があがあ」とエンジンはすさまじい音を立てていた。
 ようやくサンパウロのコチア産業組合本部に着いた。ここで組合側の職員が乗り込み、受け入れ態勢待機中の農事試験場へと移動出発である。このサンパウロ本部から農事試験場までは僅か二十キロメートルだそうである。大体普通は三、四十分で着くそうだ。
 ところがお生憎様、雨は強くなるばかり。増してや、道路は郡道とあって泥んこ道。バスは右へ左へずるずると滑り、中々前に進まない。そのうち轍(わだち)にはまって動かない。お手上げである。
 ところが、ここは元気はつらつ、四十五日間ぶらじる丸で「据え膳、上げ膳」の生活をし、体力を持て余しぎみ、身体がなまっている連中ばかり。靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、裸足でバスを押しはじめた。目と鼻の先の農事試験場まで、バスを皆で押して運ぶのである。
 ブラジル初日から、バスは人を運ぶものではなく、人がバスを運ぶ羽目と「初体験」する事と相成った次第。
 なぁーる程、地球は広いね、大きいーネ。日本とは偉い違いである。ともあれモイーニョ・ベーリョ農事試験場に到着。取りあえず直ちに汚れた衣服と体を、大きな浴場でシャワーを浴び、綺麗サッパリ。ヤレヤレ、ブラジル到着日にいきなりの「ハプニング」に、青年達は大喜びとは言えないが、皆嬉しそうであった。何はともあれ、コチア産業組合の立派な研修所にホットした。
 出迎えて下さったのは、真白きエプロン姿の婦人部の方々であろうか。日本に着いたような気分じゃないか。清々しい姿に好印象を受けていた。

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