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自伝小説=月のかけら=筑紫 橘郎=(21)

 その土曜日が来た。午後二時、場長から「千年君、これから木村君とこに行くぞ」と迎いに来た。お断りする理由もなく、木村場長の強(し)いてのお誘いである。木村さんとも大変気の合う人で、一度、大塚氏に逢って置きたかったのは、千年君も同じではなかったか。
 「では参りましょう」とジープに乗り込んだ。その頃、ノロエステ奥地はマット・グロッソ州に通じる幹線道路とあって、アスファルト舗装であった。ガララッぺス市までは一飛びの距離。一時間近くで着いた、大塚氏ご夫妻に大そうなおもてなしで大歓待を受けた。
 そして「ミランド―ポリス種鶏場の木村場長さん、千年さんお二人は事故死されました」の第一報が午後十二時に知らされた。何分、土曜日の真夜中である。
 「さぁー一大事」と騒ぎ知らせる人も知らず、組合本部も土曜日曜日はお休み。ましてや夜中では手の打ち様のすべもなく兎に角、夜明けを待つ事にした。当時としては至極当たり前の通信事情であった。
 夜が白み始めた夜明けの五時である一台の車が這入って来た。あつまっていた一同が飛び出して来た。タクシーの中から千年太郎がにこやかな顔で降りて来た。これには集まっていた従業員一同が「おったまげた」とばかりに驚いた。千年が「皆さんどうされました? 何に私が死んだ。なんと木村場長さんもですか。ハハハン解かりましたよ」とひとりうなずいた。
 つづいて、「これはこれは、大変なご迷惑をおかけしました。まァまァ、みなさん家の中にはいって下さい。この通り、私には足がついております。皆さん、私は反省しております。実は大塚氏宅に着くなり下にも置かない御挨拶で、気を良くした私達は勧められるままウイスキーをストレートであおり、実に天にも昇る心地で、ウイスキーでメートルを上げて行きました。そこへ山中仁君が加わり、その上、仁君のお姉さんも並んでお給仕がはじまった。止せば良いのに調子を上げてる二人、ブレーキが利かなくなっておりました。私はもう九時です。そろそろ帰りますか、と木村さんをけしかけて見た。どうせ明日は日曜日、一晩御世話になって明日ゆっくり帰りたかったが、何と木村さんがウン帰えろうとなった」と、まるで講談のように説明をはじめた。
 木村場長さんには明日はぺスカ(魚釣り)の約束があったらしく、釣りキチの木村さんには自分のアルコールの度合いの判断が狂っていた。大塚ご夫妻や山中君の引きとめも笑ってご辞退。夜十時半に大塚家をおいとました。千年君も仕方なくジープに乗った。夜半のハイウエーを百二十キロメートル位いで走っていた。
 その内、道路沿いの土手にぶち当て、高さ三メートル位いの土手の上から車と人間もろ共、真逆さまに転落、大事故になった。後続の車が道路警察に連絡。ジープは車体番号と車検から木村氏の運転と判明。搬送した車の運転手が病院の確認なしに死亡と判断。気を利かしてグランジャ(種鶏場)に知らせて引き揚げたらしい。
 結果は間違いで済み、酔っ払い運転で大した怪我もなく、死人にされた次第。事故後の処理の方が半年も掛るが、二人とも命拾いをした幸運は広く世間の茶の間の話題に成った。
 当時としては、ブラジルはアルコールの這入った運手など規制は有ったが気にする人等いなかった時代であった。
 幸い二人とも大した怪我でもなく、千年君は気楽な日曜日とあって、我が家に着いて、集まっていた従業員相手にビールで乾杯、皆さん達の心配などケロリと忘れているようであった。
 その後も大した支障なく、平穏無事に任務は進んだ。だが、先の交通事故が木村場長さんの体にはかなり響いたらしく、「サンパウロで養生する」と勝手に引き上げられ、二度と帰って来なかった。