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道のない道=村上尚子=(30)

 この時が一郎のかきいれどきとなる。よろい戸を下ろすのは、亡くなった者と縁者への敬意の形らしい。
 埋葬が済むと、数十人の人たちが、どっと入って来た。殆どの者がピンガをあおるためだ。一郎は慣れたもので、この客達の対応をこなす。体中、活気に満ちている。
 この店にいた間に四回ほど、そんなことがあった。後は、何の変哲もないバールであった。この家に嫁いで来て、一ヶ月くらいした頃、友子がよく泣くようになってきた。何か少しでも気に入らないと「わあ、わあ、わあ」と泣く。どうやら外から他人の女が入りこんで「パパイ(お父ちゃん)」を盗られた気がしているようだ。

 そんなある日、「なに苛められよるやあ」と、私にあてこすりを言った一郎……(この子は泣かせられない。私が疑われる)と思った私は、友子の言うなりになった。なので、友子の悪戯も目に余るようになってきた。
 そのうち、信のほうが問題となってきた。ぞっ! とするようなことが起こった。このバールの地下に倉庫がある。そこへ用を思い出して私が入って行くと、信とひろ子が、うす暗い中に立っている。見ると、ひろ子は、赤い目をうつろにして、私を見上げた。弱りきっているらしい。この子の体は、ふらついてやっと立っている。
「ご飯粒が、一粒もないように拾うてこいや! そうせんと出してやらんぞ!」
 と、信は言って、私を避けるように出て行った。
 暗闇に目をこらすと、床が濡れて一メートル四方に、白いご飯粒が飛び散っている。
「どうしたん?」
「にいやん(兄ちゃん)が、こうしてー(ゲンコツ)ここをー(腹部)……」
 これほど床に吐き散らしたということは、そうとうやられたなと思った。
「この子は大丈夫だろうか」と体の方を心配した。
「虐待……」
 父を思い出して唖然となった。この倉庫は広いが、窓一つなく、ちょっとやそっと叫んでも、上までは聞こえない。大変なことになっている。
「いつからだろうか……」
 恐ろしくなったが、新婚早々一郎に言っても、信じてもらえる訳がなかろう。

 それから半年もしない頃である。一郎が改まって、
「もう一度、農業をやりたい」と、言い出した。彼は、日本から移住してきて、親戚の家で農業を手伝ってきたのだ。その家は成功して繁盛している。
「せっかく百姓から抜け出して来たのにまた……」
 しかし私は、この家へ身ひとつで拾われるようにして入って来た者だ。何の発言権もないし、彼が店を止めたら付いて行くしかない。

 この頃のサンパウロ近郊の農家は、日本人が多かった。そして作物の値は不安定で、運のいい人たちだけが、大金を手にすることが出来た。特にジャガイモで大当たりする人が出た。そんな人たちのことを、人々はバタタ(じゃがいも)王と呼んだ。
 しかし、このような人たちも大型の投資で挑むので、三回続けて失敗すれば破産すると言われていた。実際、夜逃げした日本人たちの話も耳には入っていた。バタタ王の話は、小規模な農家を刺激した。

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