ゴムの樹 アナホーザにある碁会所のそばには、ゴムの大樹がある。 四十年も前には、痩せた貧弱な木であった。建物の陰、しかもセメントの歩道の端で、この木はなんとか生きていた。 人間ならこの環境を逃げ出すことができる。が、この木は耐えた。 そして、動けない木の根は、下へ下へと伸びていって逞しくなり、ついには固いセメントをひび割 ...
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道のない道=村上尚子=(81)
やがて、二人で外へ買い物に出た。道を歩きながら、ひろ子がしみじみとした声で、自分へとも私へともつかず言っている。 「不思議ねえ……今なぜか昔ママイに色々してもらったことを、思い出しているよ。今まで何も思い出したことがなかったのに。例えば、六歳くらいの頃かしら、ママイが私に服を買ってくれたのを……その服はね、ブルーザ(上着)がピ ...
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店 じ ま い 七十七歳になった私、もう力仕事は無理となり、今から二年半ほど前に、身を引くことにした。 この頃、このアパートの二階で、月に一回、文章の勉強会が行なわれていることを知った。「たちばなの会」というこのサークルは、二十名ぐらいのメンバーである。この会に、私は関心を持ち、ある日見学をさせてもらった。 第一 ...
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初めは、彼にも私のポルトガル語が分からなかったのだと思える。しかし、段々私式のポルトガル語が理解出来るようになったのであろう。人間、どんな難しい問題でも、訓練と慣れとで、解決して行くものである。このへんな才能を持った生徒が、私が一言喋るその度に、ポルトガル語で皆に通訳している。 それを全員、真面目に聞いている……まるでカイロ ...
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又、女性の中には、精神的に参っている人が多く、私に馴染んでくると、身の上話をしたい女性が増えた。しかし、治療中に喋られると、私が集中出来なくて大変困る。適当に聞いとけばよかろうと思うだろうが、話している方は、布団を叩いて泣きながら話しているのだ。 これほど、のたうち回って精神的に苦しむと、体に力が入っていて、なかなか肉体の方 ...
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さっそく日系の新聞に広告を出すと、初めは一日に一人来たり、来なかったりであった。しかし、この始めて来る客こそ、私がこれから食べて行けるかどうか、勝負がかかっている。その客が次にも来てくれるかどうかは、このたった一回目の私の仕事ぶりにかかっているのだ。ちょうど、ポウパンサ(預金)のように、これから自分の客というのを一人、一人貯め ...
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そうこうする内、人に貸していたアパートが空いたので、そこへ移った。色々、身辺の整理も終わった頃、数冊の私の日記帳が出て来た。特に、ここ一年間の日記は、癌病の父の介護、その闘いの日々であった。分刻みの看病のことが、克明に書かれていて、何か見ているとその日記帳そのものが、生きもののように喘いで迫ってくるようだ。 私は思った。後に ...
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私はそのとき、何か一瞬にして肩から覆い被さったものが取れた。父は、空の便器を引き寄せ、その中へ手を入れては、何かをつまみ出して、口に入れている……父の頭では、何か食べ物が入っているらしい。これを見て、私はいいことを思いついた。 「お父さん! ぼたもちばい!」 と、さも牡丹餅が私のてのひらに乗っているそぶりをして、父の前に差し ...
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彼の体全体から、万感の思いがいっぱいに広がっているのが、私にも伝わる……父は、二個目を口に持って行った。少しすると、急にむせ始めて、トイレに行き、「ゲェー、ゲェー」と言い出したのだ! 私は父の背を「とん、とん」と軽く叩いたが、うまく行かない。父の首が倍に膨らんでいる。水を飲んでみたためだ! 水も食物も、喉に止まったままだ! 私 ...
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「尚子、ちょっとそこへ座れ」 ある日、父が碁を並べながら私を呼んだ。 「オレの相手をして打ってみろ」 いつも家の中では、碁を打つ相手が居ない父。ウムを言わせない口調で命令した。 「ハイ……」 あの頃の私は三十代であった。『人生の戦いの真っ最中』、いいかげん自分の人生に、眉間のしわを寄せてあがいていたのに、遊びまで苦しむこと ...
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