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第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(14)=「ブラジル来たから助かった」

渡部(わたのべ)秀樹さん

渡部(わたのべ)秀樹さん

 10月2日(日)朝、グアイーラのホテルで一緒になった参加者の一人、渡部(わたのべ)秀樹さん(64)と話していて、出身が福島県相馬市と聞き、「震災で身内の方は大丈夫でしたら?」と聞くと、深刻な話がかえってきた。
 「東日本大震災の津波で、僕が元々住んでいた地区で200人以上が死んだんです。叔父さん夫婦が亡くなり、兄が住んでいた家も流された。震災の起きる週の初めにスカイプ(テレビ電話)で話していた同級生とその奥さん、息子の嫁さん、孫2人が亡くなった。本人はたまたま市役所に行っていて助かった。彼とは最初連絡すらとれなかった。僕の方もすごいショックで、その後も2年間ぐらい話ができなかった」。
 福島原発からは45キロ離れているとはいえ、海岸線の町で、特に兄の家は海から50メートルの距離だったという。「僕もあのまま日本にいたら震災でやられていたかもしれない。へそ曲がりでブラジルに来ていたから、助かったのかも知れません…」。
 1981年に30歳で渡伯した自由渡航者だ。「僕らは団塊の世代の最後の頃。高度経済成長期に育った。金の卵とか言われて東京で5年ぐらい働いた後、故郷に戻り、田舎の建築会社に勤めていた。仕事に行き詰まりを感じていた時、伯父さんがブラジルで商売をやっていると聞き、その様子を見にきた」。ちょっと珍しい渡伯のパターンだ。
 伯父は聖市ボン・レチーロ区で輸入雑貨商をし、「日本では大して売れないような歯磨き、手帳などの文房具とかが、こっちはバカ売れすることがある。そんなのが面白かった。インフレもすごかったけど、商売人にとってインフレはむしろ儲かる」と強かだ。渡伯4年後にアネスチア(恩赦)があり、永住権も手にした。
 「その仕事を手伝っているうちに、こっちの生活が気に入った。いったん日本に戻って、親父に話して少しお金をもらってこっちに戻って、伯父さんと一緒に仕事をし、台湾人女性と結婚した」という。その仕事で成功して自分の店まで所有するようになった。それを賃貸物件として貸し出し、若くしてその家賃収入で生活している。。
 仕事から自由になった後、東京にいた頃に「凧の会」に入って、多摩川土手などで自作した凧を揚げて楽しんでいたのを思い出し、こちらで凧揚げを指導する活動を始めた。「もう200個以上作りました」とのこと。
 故郷巡りには本当に色々な人が参加している。いろいろな移民人生があるものだと感じ入った。一行は朝9時に150キロ南方の次の目的地に向けて出発し、昼には到着した。
 カスカベル文化体育協会では、若き猪俣富男会長(45、二世)の出迎えを受けた。市内には5千人からの日系人が住んでおり、うち100家族ほどが会員になっているという。(つづく、深沢正雪記者)

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