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第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(5)=この地で健闘する戦後移民

安立会長、安光さんに記念品を渡す本橋幹久団長

安立会長、安光さんに記念品を渡す本橋幹久団長

 ウマラマといえば青年隊の〝故郷〟との印象だったが、この地でもコチア青年を見つけた。パラナ州に入ったのは戦前移民の子供世代が中心だったが、今回の旅を通して、青年隊はもちろん、意外に戦後移民があちこちに入って健闘していることを痛感した。

トレードマークのおしゃれな帽子をかぶった高橋隆さん

トレードマークのおしゃれな帽子をかぶった高橋隆さん

 たとえばコチア青年1期1回の高橋隆さん(79、山形県)だ。のっけから「ブラジルは面白いよ。何もなくても何とかなる!」と勢いが良い。
 1955年9月に渡伯し、最初はブラがンサ・パウリスタのパトロン、遠藤清さんのところで4年間勤めあげた後、「5年目に独立しようとしたら金を貸してくれないというので、飛び出したよ」と振りかえる。
 「あちこち行って、食べ物すらない時もあった。ピヨン(牛追い)もやったよ。1964年からウマラマに住み、1987年には埼玉県へデカセギに4年間行った。ウマラマのデカセギ第1号さ」と呵々大笑する。
 「その後は野菜作り。今じゃ、砥ぎ師だ。主に医師が使う手術用ナイフとかを砥石で砥ぐ。もう15年ぐらいやってる。良い仕事だ」と一気に半生を語った。「めったにサンパウロへ出ることはないね」と言いつつも、コチア青年60周年にはしっかり参加。コチアの絆は北パラナにもしっかりと広がっている。
 現地の高橋義昌さん(82、高知県)にも話を聞くと、「下坂匡さんの同船者なんだが、40年ほど前にミナスのファゼンダ・シモサカを見に行った時以来初めて会った。お互いにビックリしたよ。ちょうど良かった。最初見て分からなかったけど話したらすぐ分かった」とのこと。同船者は一種の〝故郷の幼馴染〟のようなもの。故郷巡りに相応しい偶然の出会いだ。

高橋義昌さん

高橋義昌さん

 高橋さんは従兄弟の構成家族として1956年に呼び寄せで渡伯。最初の2年間はアプカラナ、その後、サンジョアン・デ・イヴァイ、ウマラマには46年前に移った。最初の10年間、同じパトロンの下で10年間コーヒー作りをやり、ここでも続けた。「ずっと手でやっていたから、キツイ仕事だったよ」でも6年ほど前にネマトーゼ病が出て辞めた。
 「アプカラナにいた頃、一回、高知新聞に取材された。その記事を郷里の両親が読んで、『息子が頑張っている』とすごく喜んでくれた。新聞に出るのは今回2回目だな」と喜んだ。
 午後10時、交流会の最後に一行は恒例の「ふるさと」を全員で合唱し、名残を惜しみながらホテルに戻った。帰り際、安立会長に挨拶にいくと「言い忘れたが、町のセントロに日本庭園を作っているんだ。2年後の移民110周年には完成するはずだ」との頼もしい一言。各地でしっかりと移民周年行事の企画が進んでいる。(つづく、深沢正雪記者)

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