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道のない道=村上尚子=(51)

 しかし、必ずそれ以上の金額を、よっちゃんのポケットに入れてやった。理由は、よっちゃんがチップをくれる客と、くれない客の差別をさせないためであった。
 夕方、早めに私たち三人は食事を済まさないと、もう食べる時間はなくなる。あのばあさんが来ないので、仕方なくよっちゃんと食事をしていた所へ、あのばあさんが店へ入って来た。私たちが先に食べているのを見ると、ばあさんは椅子を蹴飛ばした。あのずっしりとした椅子は、二脚も派手な音を立てて倒れた。まだまだ体力があるなあと思った。
 それから半月後、ばあさんは辞めてしまった。理由は分からない。その内、よっちゃんまで近くの呑み屋に引き抜かれた。私はさすがに寝込んでしまった。よっちゃんが別れの挨拶に来て私の枕元で、
「となりのママが、『チップはみんなあんたに上げる(どうやら噂になっていたらしい)。だから、うちで働かないか』と言われたよ」その声は、恨みに満ちている。
 私は布団から這い出て行って、引き出しから小切手を出した。それに大きい金額を書き込んだ。そしてそれを、よっちゃんの手に握らせた。
「なに……これ……」 金額を覗いて、驚いている……
「これはね、あんたが今まで働いてくれた退職金よ。あんたが今、私にしていることは腹が立っている。でも、それとは別に今まであんたは、本当によく働いてくれた。その退職金よ、取っておきなさい」
 すると、よっちゃんは急に声を詰らせた。
「姉さん、ごめん……」
「…………」
 そうこうするうち、よっちゃんは一ヶ月で例の呑み屋は止めていた。ママに追い出されたようだ。確かに、あまり役には立たないかも知れない。彼女がまだ「円苔」にいた頃、魚を焼いていた。
「ちょっと下の倉庫へ行って来るから見ていてね」「はい……」
 倉庫から上がって来てみると、魚は真っ黒になり、煙が上がっている。
「どうして? 焦げているよ!」
「でも姉さんは、見とけというから見ていた」
 というのだ。二世で、意味が通じなかったにしても、ぽかんとなってしまった。
 又、ある時、チップの代わりのお金を、上げようとした。お金を彼女のポケットに突っ込もうとすると、激しく拒んでいる。無理やり手を入れると、違うお札が入っている。お札と、ただの紙切れの感触は誰でも分かる。
 盗んだなと思ったが、そっとしておいた。可哀想だが、私はもう再び彼女は入れなかった。 
 そうこうするうち、あのばあさんが、病気になっていると耳にした。見舞いに行ったアパートは、わりに広いが、うす暗い。窓は閉め切ってあって、だれもいない。がらんとした室の床に敷いてある薄い布団に、ばあさんは寝かされていた。彼女は、かなり弱っていて見る影もない。力のない声で私に言った。
「今まで、見舞いに来た人は、ああたが始めてですたい」
 少し息を整えると、
「誰一人、来たもんはおらんですたい。私の息子たちも来まっせん」
 ばあさんの身は細り、すっかり深くなった皺に沿って、涙がすうーっと流れた。
「ああただけだった……」
 ともう一度言ったー それからほどなく彼女は亡くなったと、伝え聞いた。

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