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JICA=日系社会ボランティア30周年=リレーエッセイでたどる絆=第10回=50年後も日本語学校が存続するために

日本語学校の生徒たち(後列中央が植西さん)

日本語学校の生徒たち(後列中央が植西さん)

 JICA日系社会ボランティア制度の30周年、おめでとうございます。
 1989年の夏、アルゼンチンを旅行していた時に、開発青年として日本語を教えている女性に出会い、海外での日本語教師の仕事に興味を持ちました。それが私とJICA日系社会ボランティア制度との長いお付き合いの始まりでした。
 その後、1991年に海外開発青年6期生として来伯し、サンパウロ市のサウデ文協の日本語学校で、大勢の子供たちに囲まれて楽しくブラジル生活の第一歩を踏むことが出来ました。
 先生方や父兄の方たちもブラジルの右も左もわからない未熟な私を親切に支えて下さり、心から感謝しています。
 次に勤務したアチバイアの日本語学校では、ベテランの兼松久美子先生のもとで多くの事を学びました。特に印象深いのは当時全国規模で行われていた児童のお話大会です。生徒一人一人に先生が朗読されたものをカセットテープに録音して与え、それを聞いて練習した生徒達のお話は、胸が熱くなるほど素晴らしいものでした。兼松先生の教育にかける情熱に触れさせて頂いたことは今も私の大切な財産になっています。
 また、当時、JICAから指導教師として来られていた新宿日本語学校の江副隆秀先生のもとに若手の教師が集まり、勉強会を作って和気あいあいと学んだのもかけがえのない思い出です。
 3年後、無事開発青年を終了し、1995年にブラガンサ・パウリスタ日本人会での教師の仕事を始め、今年で22年目になります。
 はじめは生徒も10数人、古い教室に古い黒板と机、椅子だけの学校でした。ですが1999年には新教室を建設していただき、新しい機材も少しずつ揃えていきました。
 また、その年に初めて青年ボランティアの受け入れ校となり、今までに6人のボランティアを受け入れてきました。自分がボランティアだった時の気持ちを思い出して、青年が持つ力を十分に発揮し、互いに成長できる環境作りを心がけています。
 現在はおかげ様で教師も生徒も増え、50数人の子供と成人が楽しく日本語や日本文化を学んでいます。
 考えてみると、無我夢中で過ごした3年間のボランティア時代の経験は、全て今の自分の土台となっています。当時は「日本語学校なのにどうして行事がこんなに多いのだろう」などと思ったものです。ですが、こうした活動が地域の日系社会を活性化し、子供たちを将来のリーダーに育てるための大切な役割を持っていることが今ではよく理解できるようになりました。
 30年後、50年後にも日本語学校と日系社会が存続し、ブラジル社会に貢献していけるには今何をしたら良いか。これからも地域の方たちと共に考え、歩んでいきたいと思っています。


植西晶子(うえにし・あきこ)

【略歴】北海道出身。54歳。海外開発青年6期生・日本語教師としてサンパウロ市内のサウデ日本語学校やアチバイア日本語学校に派遣され、1991年2月から94年2月まで3年間務めた。95年からはブラガンサ・パウリスタ日本人会の日本語学校教師を務める。ブラジル在住。

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