ホーム | 文芸 | 連載小説 | 道のない道=村上尚子 | 道のない道=村上尚子=(65)

道のない道=村上尚子=(65)

 無口な友行には、こんな仕事は向かないのでは? と思うのだが、そこそこに契約を採って来ている。一度付いて行って、彼の仕事振りを眺めていたが、 かえってあの無口と誠実さで、話している声は理論的で優しく説明をしている。それが受けているのだと思えた。私には、こんな難しいことは無理だし、何の手伝いも出来ない。

 そこで、ある大きな会社(反物を売る)に入った。何の試験も受けずに、簡単に入れたところを見ると、この会社も甘くはなさそうである。ここの女社長は五十代、彼女一代でここまでにしたとのこと。
 ただ反物を売るだけの会社なのだが、その販売の方法に感心した! その戦略とはー田舎を回って、反物を展示させてもらえる農家を訪ねるのだ。その場所さえ貸して貰えたら、あとは近所の人々へ私たちが、声をかけて回るのである。○○宅で反物を展示しています。見に来て下さい」と、日時を知らせて廻る。
 特定の店に入って行って、品を見るのと違い、農家の主婦たちは、普段着のままで三々五々、集まってきて、気に入った品があれば買って行くという、やり方である。又、場所を提供してくれた農家には、上等そうなハンドバックとか帯を、お礼にしている。場所さえ取れれば、今度はベテランの販売係の役割となる。私は社長のすばらしい発想には感心するばかりであった…… 
 月給は十万円だが、何やかや経費を引かれると、手取りは九万あるかなしであった。私は、この場所確保の仕事は簡単に考えていた。具体的には、一日中若い男性が車を運転して、農家を廻るのだ。その一台の車に、私たちは二人ずつ乗ることになる。
 段々様子が分かってきた。成績の良い人で、月に五、六ヵ所確保、特に悪い人で一ヶ所からゼロの者もいる。運転する男は、会社からの指示で、私たちが怠けないように監督も兼ねているらしい。彼は一日中車を走らせて、深刻な表情をしている。私も各農家を回って、一週間でやっと一件とることが出来た。

 こんなある日のこと、私はふっ!と「円苔」の客を思い出していた……あの客は、陽によく焼けた中年の男であった。太目の声が、けっこう明るく面白い。周りの人に話しかけながら、酒を口に運んでいた。私も耳を傾けながら、他の客の接待もしていた。その客のせいで、みな楽しんでいたが、一時間くらいすると、
「お勘定してください」
 と男は言った。私が計算し始めると、
「私は、酒の注文をとって廻ってるんです」という。完全に周りの者を味方につけたところで、ついでのように控えめに切り出したのだ……
「えっ!」と思った。この男は、今までムダ話で時間を使い、高い酒を呑んでいる。私がもし、そっぽを向いたら終り―最後のその僅かな時間で、勝負を始めている……それほど裕福そうでもなさそうな、この男が。
「いりません!」と、その注文を彼へ突き放すには、気の毒だなと思えるほど、私は彼に胸を開いていたのだ。
 男は席を立ちかけるまで、酒の注文のことを、一言も口にしていない。それは美しいほど、最後の瞬間を狙った捨て身な戦法である。結局、新種のウイスキー六本を注文してしまった。ベテランのこの男の仕事ぶりはある意味、心を打たれたのを思い出していた……ということで、私は先ず農家へ訪問したら、なるべく用件をすぐに言わないようにした。たとえ一分間でも、違う話を出すように心がけてみた。

image_print

こちらの記事もどうぞ

  • 道のない道=村上尚子=(81)2017年2月10日 道のない道=村上尚子=(81)  やがて、二人で外へ買い物に出た。道を歩きながら、ひろ子がしみじみとした声で、自分へとも私へともつかず言っている。 「不思議ねえ……今なぜか昔ママイに色々してもらったことを、思い出しているよ。今まで何も思い出したことがなかったのに。例えば、六歳くらいの頃かしら、ママイが私に服 […]
  • 道のない道=村上尚子=(2)2017年2月7日 道のない道=村上尚子=(2)  又、女性の中には、精神的に参っている人が多く、私に馴染んでくると、身の上話をしたい女性が増えた。しかし、治療中に喋られると、私が集中出来なくて大変困る。適当に聞いとけばよかろうと思うだろうが、話している方は、布団を叩いて泣きながら話しているのだ。  これほど、のたうち回って […]
  • 道のない道=村上尚子=(79)2017年2月8日 道のない道=村上尚子=(79)  初めは、彼にも私のポルトガル語が分からなかったのだと思える。しかし、段々私式のポルトガル語が理解出来るようになったのであろう。人間、どんな難しい問題でも、訓練と慣れとで、解決して行くものである。このへんな才能を持った生徒が、私が一言喋るその度に、ポルトガル語で皆に通訳している […]
  • 道のない道=村上尚子=(75)2017年2月2日 道のない道=村上尚子=(75)  私はそのとき、何か一瞬にして肩から覆い被さったものが取れた。父は、空の便器を引き寄せ、その中へ手を入れては、何かをつまみ出して、口に入れている……父の頭では、何か食べ物が入っているらしい。これを見て、私はいいことを思いついた。 「お父さん! ぼたもちばい!」  と、さも牡 […]
  • 道のない道=村上尚子=(36)2017年2月3日 道のない道=村上尚子=(36)  そうこうする内、人に貸していたアパートが空いたので、そこへ移った。色々、身辺の整理も終わった頃、数冊の私の日記帳が出て来た。特に、ここ一年間の日記は、癌病の父の介護、その闘いの日々であった。分刻みの看病のことが、克明に書かれていて、何か見ているとその日記帳そのものが、生きもの […]