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二宮尊徳翁とアマゾン開拓=報徳の森に生かされる=神奈川県在住 松田 パウロ=(上)

二宮尊徳画(1807―1862、By 岡本秋暉、報徳博物館蔵、Public domain or Public domain], via Wikimedia Commons)

二宮尊徳画(1807―1862、By 岡本秋暉、報徳博物館蔵、Public domain or Public domain], via Wikimedia Commons)

緒言

 遠く古より、大河は文明の進化を誘うものであった。
 活火山と峻険な山岳を有す海洋国家・日本は、東洋思想の叡智を戴きつつも、天は志高き健全なる農民を育て、無限の可能性を与え続けている。
 成熟した高度情報化社会を迎えるにあたり、報徳という言葉は、すべての命の可能性と解釈し、森林農法と生態系産業の未来を考察する。

報徳思想の揺り籠

 霊峰富士の宝永大爆発(1707年)は、夥しい火砕砂が足柄地域を呑み込み、農林業を壊滅させ、酒匂川を原始河川に激変させてしまった。爾来100年以上も氾濫を繰り返すに至る。堤防決壊は、農村経済に壊滅的打撃を与えつつも、氾濫流域の拡大は魚族の爆発的増殖の好機でもある。
 富士山大噴火と酒匂川氾濫は、ミネラルの爆弾であり、恵みの増水でもある。その濁流に含まれる荒削りな養分は、直接に人間には吸収し難くとも、魚族、鳥類、植物の生命の循環を通して、有り余る富源に変化してゆく。
 コメ本位経済体制に生きた江戸時代の「農民」の生命力は、驚愕に値するが、激甚災害こそが強靭な体躯を創り、明晰な頭脳をも授けていたとも言えよう。
 泥中より湧きあがるドジョウやウナギ、山野の山菜などは少年期の期の金次郎先生の生長を、力強く支えたことであろう。
 そして白米の限定飢餓状況は、「農民」の食文化の強靭化を招いたとも言える。
 富士山と丹沢山系からもたらされる鉄、ケイ酸、カルシウム等は速やかに、着実に、稲、竹類植物、野菜、芋類に吸収され、風水害、病虫害にも負けない剛健な体質を授ける。土壌微生物の活性化も同時に進行する。
 植物の遷移はゆるやかなれど、山野に樹木が再生し、河川支流に清流が蘇り始める頃、自然薯と鮎に象徴される復興の天然林産物が、河川流域の村々に押し寄せる。
 氾濫を生き延びた農民は、優れた発酵保存食および健脳食を確立するに到る。

土間の台所

報徳記念館にある二宮金次郎の生家は茅葺きの屋根(松田さん提供)

報徳記念館にある二宮金次郎の生家は茅葺きの屋根(松田さん提供)

 金次郎先生の生家の台所の土間は、思索の実習室とも観察される。
 剛健なる体躯は、過酷な肉体労働の結果ではなく、自ら体を労わる智慧の賜物それは金次郎先生が料理上手であろうことの証明にもなる。
 農作業と土木工事に明け暮れる農村では、料理材料の調達、調理の段取りと、真剣勝負の連続となる。すぐれた父母の血を継いだ観察力と決断力は、台所で研ぎ澄まされて、実学の基本形成したと偲ばれる。
 フキ、ワラビ、タケノコなどの山野草は、「アク抜き」作業を必要とすることも、調理を通じて学習させられる。
万人に吸収できる理論を構築する実験実習と言えよう。
当時の農家は、漬物、味噌、醤油も自家製造し、発酵の現場に生活することは清潔、簡素を尊しとし、神棚と仏壇の存在感は極めて大きい。

救荒作物

 二宮金次郎は寺子屋に通わず、父からの教育を根幹とされた。それは当時の農村の荒廃ぶりを表すのかも知れない。大洪水を生き延びても、活動的な男児に水難はつきものである。治水事業は停滞し続け、上下水道の無い時代の衛生環境も劣悪を極め、小児とりわけ男児の死亡率は、非常に高いと想像される。
足柄地方の正月行事のどんど焼きのご神事は、地区の道祖神に無病息災を祈るものである。現世御利益に毒されず、往時の天候異変に翻弄される農民の切実な祈りの世界があったことを、焚き火の祭典は物語っている。
 盛夏、足柄の山野に蔓延るクズ 学名: Pueraria montana は、林業家の悩みの種になってしまったが、かつては有り難き救荒作物の雄、イノシシの突進力と繁殖力の栄養源である。
 米の凶作の時代の少年・二宮金次郎は、この種の救荒作物の恩恵に浴しながら根系の重要性、特に毛細根の働きを農民の存在と解釈していたと推測する。
 それは、農民を誇りとする揺るぎなき「破天荒力」の根源と言えよう。

無血開城の系譜

 土木重機が全く存在しない時代に、幕府直営の治水事業は延々と続く。
 指導者は財政破綻に怯え、民は無気力に陥るは当然のところ、その絶望と怠惰に打ち克てたのは、小田原城下に蓄積された古典書物の力に負うところ大。
 それは戦国の乱世にあって小田原城が無血開城し、城下が焦土となるのを回避した結果の書籍温存である。北条五代の遺徳は無傷で徳川政権に引き継がれ、志あれば農民の子供にまで、古典文献をあまねく行き渡らせる成熟社会を実現させていた。それは、民を護り、慈しむ日本の武人の真の姿である。
 幕末の動乱でも江戸城の無血開城が実現している。勝海舟と西郷隆盛の英断により、明治新政府は欧米列強からの分断統治を回避させている。
 幕臣・勝海舟の二宮尊徳翁を評する言葉に「大体あんな時勢には、あんな人物が沢山できるものだ」と江戸っ子のべらんめえ調で語られる事に批判もあるが文明の生態史観として知的に俯瞰されたと解釈したい。
 新政府の要人となる西郷隆盛も報徳思想を見事に吸収し、後進への遺訓として「租税を薄くして民を裕にするは、即ち国力を養成するなり。…」「会計出納は制度の由て立つ所ろ…」「敬天愛人」に結晶した薩摩の武人の報徳は、今なお色褪せることは無い。
 日本に残存する城廓の天守閣は、歴史的景観を踏まえつつ、都市緑化の最前線として、地域の空気と水質の指標として機能することが求められている。(つづく)

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