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■ひとマチ点描■営業人生59年の生き字引

「引退します」と金子さん

「引退します」と金子さん

 本紙最古の営業部員、金子ロベルト司さん(85、二世)が先々週をもって退社した。日伯毎日新聞で1970年から働き始め、ニッケイ新聞まで47年間というから、ほぼ半世紀だ。邦字紙界の生き字引が、営業人生に幕を引いた。
 その前にはラジオ・サントアマーロで1958年10月3日から働き、1970年に日毎へ移った。その間をいれれば、なんと59年間もコロニア・メディア界で営業一筋の人生を歩んできた。
 「奥原庚栄(こうえい)社長が美空ひばり公演直後に自動車事故で死んでね。あの頃、軍事政権から外国語放送が禁止されて、広告主が減って行き詰まっていた。それで、日毎ビルを建てたばかりのこっちの新聞社に移った。奥原社長は当時まだ48歳の若さ、無口な人だった」と惜しむ。
 「今じゃ9チャンネルの有名TVアナウンサーになったボリス・カゾイも、ラジオ・サントアマーロで働きながらUSP法科を卒業した。あの頃は彼がコロニア野球の生中継をしていた。見習いとしてね」と懐かしがった。
 辞める理由を「もう体力が亡くなった。目が悪くなり、車が運転できなくなったから、もう営業できない」と説明した。今後は大好きなカラオケで、思う存分、大川栄作や鳥羽一郎をうなって過ごすとか。(深)

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