ホーム | 連載 | 2017年 | 《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス | 《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(9)=かつての栄光を胸に抱いて

《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」 ポルト・ヴェーリョとパウマス=(9)=かつての栄光を胸に抱いて

かつてのポルト・ヴェ―リョ駅舎に展示(放置?)されている機関車の実物

かつてのポルト・ヴェ―リョ駅舎に展示(放置?)されている機関車の実物

 もとをたどれば、鉄道建設のアイデアはボリビア側が希望したものだった。第1次ゴム景気(1879~1912年)の時、最大の生産地ボリビアは輸出先である欧米まで搬出ルートを探していた。1800年代、産業革命と共に欧米ではゴムの汎用性が高く認められ、需要が高まった。
 ラパスから米国に運ぶのに、海路では南米最南端ホーン岬周りで180日かかったが、鉄道を作ってマデイラ川水系を下っていけば、59日間で可能との推測が出ていた。そこで、ボリビアはブラジルと1903年にペトロポリス条約を結び、アクレをブラジルに与えるのと引き換えに、ブラジルは現マット・グロッソ州の一部を与えるのに加え、「マデイラ鉄道を建設する」と約束した。
 つまり国策事業であり、米国企業が受注した。ガイドから「だから、この病院には気鋭の衛生学者オズワルド・クルスが雇われ、労働状態を管理した。そしてブラジル最初のレントゲン装置が設置されたのよ。工事を受注したのがアメリカ人だったから、ニューヨークから最新の設備を運び込んだの」と説明され、そのアメリカ人の名前を尋ねた。
 「ペルシヴァル・ファルケル(Percival Farquhar)」と言われ、なるほどと納得した。
 彼は米国人企業家で、「1905―1918年のブラジル3大投資家」と呼ばれた一人だ。他は一介のイタリア移民から大企業グループを作り上げたフランシスコ・マタラーゾ、ブラジル産業の父ともいうべき存在ヴィスコンデ・デ・マウア(Irineu Evangelista de Sousa)ら歴史上の人物に並ぶ存在だ。
 死の鉄道と共にファルケルは、南部3州を貫通する鉄道網も作り始めた。それを間近に見た青柳郁太郎が、いずれ南部三州と聖州をつなぐ交通の要衝として発展する地として南聖レジストロ地方の地の利を見出し、日本移民最初の「桂植民地」を1913年に開いた。
 しかし、マデイラ鉄道が開通した2年後の1914年、太平洋とカリブ海をつなぐパナマ運河が開通し、存在価値がなくなってしまった。
 ガイドは、「それまではニューヨークからここまで大型豪華客船が来たのよ。ベレン、マナウス、ポルト・ヴェーリョまで。ペルーやボリビアから金持ちが欧米に行くときは、ここを通るのが一番近かった。そんな豪華客船が一隻、この町の近くで沈没した事件があって、今でも財宝がそこに眠っているという伝説がある」との興味深い話を披露した。
 さらに「米国の会社が工事をしたから、当時、町の公用語はすべて英語だった。市役所の書類から新聞まで英語だったのよ」とのこと。
 「今でもその時の外国人の工事関係者の子孫が、親の足跡を求めて訪ねてくることがあるわ。そんな映画みたいな歴史がある鉄道なのに、1972年に当時の執政官が鉄道を廃止してしまった。本当に理解がない政治家は困るわ」と怒気を含んだ表情になった。
 「その後、8キロの区間だけ観光鉄道として復活させたけど、2014年の大洪水でレールが流されてしまい、それっきり」と今度は泣きそうな顔になった。(つづく、深沢正雪記者)

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