ホーム | コラム | 特別寄稿 | 深沢正雪著『「勝ち組」異聞』(無明舎出版)を読む=~遠隔地ナショナリズム論と「勝ち負け」抗争の今日的再考~=岸和田仁(『ブラジル特報』編集人)

深沢正雪著『「勝ち組」異聞』(無明舎出版)を読む=~遠隔地ナショナリズム論と「勝ち負け」抗争の今日的再考~=岸和田仁(『ブラジル特報』編集人)

『「勝ち組」異聞』(無明舎出版)の表紙

『「勝ち組」異聞』(無明舎出版)の表紙

 第2次大戦が日系社会を分断し、日系人同士の錯綜した対立を引き起こしたが、そのトラウマが癒えるまでには長い時間を要した。それは、政治的社会的背景がそれぞれ異なる米国でもブラジルでも日系社会を激震させた歴史的事実である。

 端的な例をあげれば、1942年、カリフォルニア州北部のツールレイク収容所には米国への忠誠を拒否した日系人の多くが送り込まれたが、所内では親日強硬派が米国忠誠派を角材で袋叩きにしていたという。第2次大戦が生んだ在米日系人社会分断の傷跡は深く、1980年代になっても疼いていた。

 日系人強制収容は人種差別に基づく憲法違反だった、と米国政府が正式に謝罪したのは、半世紀近く経った1988年で、補償金を払ったのが1990年のことであった。

 米国における最大の日系人団体JACL(日系アメリカ市民連盟)は1929年に設立され、日系人の権利擁護活動を続けてきたが、その基本的な立場は米国忠誠・同化主義であり、英語で記述された日系人の歴史もその立場から語られていた。

 従って、この「正史」では、欧州戦線における日系人部隊の勇猛果敢ぶりを宣伝する一方、親日対米強硬派の存在は黙殺され、徴兵拒否者は「裏切者」「臆病者」と断じられていた。そのJACLが、それまで無視していた徴兵拒否グループと和解し、彼らに謝罪したのは2002年のことである。

 「二つの祖国」が戦争で直接対峙した米国の日系人の場合と単純に比較すべきではないだろうが、ブラジルの日系社会の分断を象徴するのが、終戦直後のサンパウロとパラナにおける「勝ち組」「負け組」抗争であった。「勝ち組(信念派)」と敗戦を悟った「負け組(認識派)」とのあいだの抗争の結果、百数十名の死傷者数を出したが、長い間、「勝ち組」=「臣道連盟」=「狂信的テロリスト」に全面的に非がある、と語られてきた。

 これは戦後の日系社会をリードした「負け組」インテリ層が、ブラジル忠誠・同化主義の立場から『日本移民70年史』や『80年史』といった正史を編纂・記述してきたからであり、「勝ち組」の人たちは、新興宗教(生長の家など)の布教に転進するか、沈黙するか、の選択肢しかなかった。

 こうした「負け組」史観をアカデミズム(社会人類学)の立場から再検証し、「勝ち組」運動を客観的に見直すようになるのは、1980年代になってからに過ぎない。(二例を挙げれば、「勝ち組」をブラックナショナリズムの先駆的運動に相似した千年王国運動と解釈した前山隆教授と、バストスの事例研究を通じ、revitalization理論を応用して共同体復興運動と論じた三田千代子教授、だ。)

 こうした「勝ち組」に関する、宿痾のような日系社会のトラウマを揺さぶり、“パンドラの箱”を開けたのは、作家フェルナンド・モラエスの話題作” Corações Sujos(汚れた心)“(2000年)であった。

 同書は、ノンフィクション作品であるが、「勝ち組」=「臣道連盟」=「狂信的テロリスト」という通説を活劇タッチで描いたため、ベストセラーとなってブラジル一般社会にも日系社会にも大きなインパクトを引き起こしたのだ。

 この著への反発から、「勝ち組」の子息にあたる二世層からの反論著作がいくつも刊行されることで歴史の見直しが日本語ばかりかポルトガル語でも進められることとなり、さらには軍政時代の弾圧の実態を明らかにする「真実究明委員会」において「勝ち組」問題が正式に取り上げられ、日系社会の8割を占めた「勝ち組」への弾圧は人種差別に基づいていた、と認定されることとなった。

 こうした時代の趨勢を冷静にフォローしてきたのが、「負け組」のプロパガンダ新聞として1947年に創刊されたパウリスタ新聞を引き継いだニッケイ新聞で編集長として活躍する深沢氏だ。

 老齢化する関係者を精力的に取材し、関連史料を熟読したうえで、この日系同士の抗争の、いくつものファクトというコインの表だけでなく裏も読み取り、そのうえで全体を見直す作業を行ってきた。その成果が、この度刊行された本書である。

 政治学者ベネディクト・アンダーソンの名著『想像の共同体』を読み込んだ深沢氏は、この中で論じられている「遠隔地ナショナリズム」の具体例としての日本移民をマクロ的に捉えた論文「ブラジル移民と遠隔地ナショナリズム」を季刊誌『現代の理論』(2008年)に発表し、それ以降、足と頭を酷使しながら、「勝ち組」問題を追究し続けたのだ。

 ブラジルの日系社会の裏にも表にも通暁している深沢氏の結論は、「勝ち」も「負け」も同じ犠牲者だった、というものだが、本書は、現代日本をも穿つ重みを持つ労作である。(※この原稿は『ブラジル特報』5月号に掲載されたもの。著者の許可をえて転載した)

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