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『勝ち組異聞』によせて=イメージすることだ=サンパウロ市在住 中田みちよ

『勝ち組異聞』

『勝ち組異聞』

 今までずいぶんいろいろな勝ち負け組に関する本や書物がでたし、読んでもきた。わたしの幼稚な頭はそのつど混乱もした。
 『勝ち組異聞』を手にしたのは、すでに戦後70年をへて濾過されるものは濾過され、底にのこった真実が見えるだろう、と考えたからだ。たぶん、著者の深沢さんもそう考えたはずである。70年という時間が歴史を見直す冷静さと物差しを与えてくれる。でなければタブーには手をつけまい。
 著者はいう。
 『移民という日本社会の一部をすくいだして、ヨーロッパ文明を基調とした文化をもつブラジルという培地に植えつけて100年がかりで培養するなかで、「日本人」という種が、どのように振る舞うのかを経年観察する…という行為がブラジル移民史ではないか』と思いいたった。
 私も強くそう思う。だから、日本のメガネで観察してほしくない。そんな思いをずっと抱えていた。
 「明治が見たければブラジルへ!」評論家の大宅壮一がいった。(これについては深沢が本文で真実を書いているが)。
 「ブラジルの日本人に明治・大正がそのまま残っている」を、私も大多数の読者のように否定的な、ブラジル日系社会の後進性を指摘する言葉として受けとり信じて疑わなかった。勝ち組負け組問題も頭の遅れた人たちと考えもした。
 しかし、21世紀になって、真逆の発想ができるようになった。
 終戦があった。
 日本人は民主主義の嵐に横っつらをはられ、波に乗り遅れないように古いものはすべて否定した。大げさにいえば猫も杓子も民主主義を口にし、新しがり、古いことは値打ちがないとしてきた。
 日本移民は1908年に始まり、当時日本は軍国主義であり、戦前に渡った人たちは、せっかちな戦後の民主主義の洗礼をうけなかった。ブラジルの日本人は戦後の日本がばかにした義理人情を大切にしながら、誠心誠意、恥を知る子どもたちを育てた。育った子どもたちは、雑多な人種のなかでしたたかに育った。親が住む日系社会では誠心誠意に対応する。
 これはまあ、同じ日系人の場合は通じる。かけ引きの強いブラジルの商取引にはドライになるが、基本的にはでたらめを言わないから信用されるといったところだろう。
 むろん、昔の開拓時代でないから、現在は有名私立校でまなび、外国語も2、3習得しているし、外国留学も盛んである。縦書きの日本語に比して、同じアルファベットだから英語などは習得も早い。無銭旅行や貧乏旅行もはやっている。ガイジン(一般的にブラジルでは「グリンゴという」とは幼児から喧嘩してきた仲間だから、遠慮も畏怖感もない。五分五分にやりあう。自己主張をする。
 すべて現代の日本人に欠如しているものだろう。世界に通用するはずである。すでに無告の民ではない。大学教員も判事も検事も弁護士も工学士もゴマンといる。ブラジルにくるジャーナリストは、やはり、言葉の問題だろう。日本語がはなせるものしか取材しない。私は違う、違うと頭ふる。取材する場所がちがう。
 もともと、日系社会の国際化は草の根的に行われてきている。
 植民地の隣人はイタリア人であり、ルーマニア人であり、ドイツ人である。例えば四足の殺生を嫌う日本人は獣肉を口にしたがらなかったが、暑いこの国では体がもたない。豚や鶏や牛をかい、油脂をとり、肉の保存法を学び調理法を会得したし、互いにおかずを交換しあった。ブロークンでありながらポルトガル語をしゃべって意思伝達した。
 ただ、学者でも研究者でもなかったから、文字にはならず日本人の目には触れかったかもしれないが、こんな交流を100年もつづけてきている。移民というのは無告の民である。散発的に日系社会で発行された同人誌なども取り上げられることは少ない。
 残念なのは大宅壮一にそういう発想がなかったことだ。大宅自身が民主主義に汚染されていた。民主主義は民度を測るバロメーターだった。だから当時の思想を100%是として日系社会を遅れていると批判した。新しいタイプの人間が誕生しているとは思わなかった。思いようもなかっただろう。残念なのはそういう大宅に日系社会が反発できなかったことだ。それには熟成する時間が必要だったのだ、といま考える。
 勝ち負け問題は、民主主義の洗礼をうけなかった青年移民たちの当然の帰結と考えていい。特に海外で暮らす者にとって天皇は聖域だった。「テンちゃん」よばわりした戦後移民。日本語学校で「君が代」斉唱を拒否した姉妹交流校の日本の教師、いずれもわが目で実際に見てきたシーンだ。
 日教組が旗をふる日本では当たり前になっていただろうが、教師という公務員が日本の国歌に背を向けた現場に居合わせた私は、教育ってなんだろうと愕然とした。
 こんな私の個人的なもやもやを、深沢はこう分析している。
 『ふつう、日本の日本人は自国領土の中で、気がついたら日本人に育っている。しかし、移民の子孫は自分が生まれて国籍を持っているブラジルを、「異国」だと親から教えこまれ、「日本人になろうと懸命に努力してきた。その結果、日本とは違う独自のアイデンティティをはぐくんできた。そこには「日本人アイデンティティ」と「ナショナリズム」「エスニック意識」の民族的な実験といえる過酷な現実があった」
 ここまで読んだとき、私はこれは全員で共有すべきだと考えた。文章の会はもう10年になるが、最近は書くことに疲れが出ている。書く作業は内部を吐露することだからそのためには、内を充実させることが不可欠だ。極論すれば読まない人は書けない。何も新刊書を読めというのではない。
 私はカレンダーしかなかった開拓小屋で毎日のようにカレンダーを読んだ。数字から昔を回顧し、未来にも想像という羽が伸ばせた。けっこう、幸せな時間だった。
 それで、いま10人ほどで『勝ち組異聞』読みながら、ああでもない、こうでもないとやりあっている。楽しいものだ。
 NHKが日系人の茶の間に入ってきて、街頭録音で最近の日本人が登場する。マイクを向けられると、想定通りの答えが返ってくる。そういう答えしか出ないような質問をする。NHKに就職する人は優秀なはずなのに、アホかあと思ってしまう。創る方も見る方も、あほである。独自に聞いてみたいことはないのだろうか。毒づきながら考える。
 こんな笑えぬ話がある。雑誌の新刊号がでると新聞社に届ける。新来の新聞記者がでてくる。
 「向こうの新聞社(ライバル社)でも同じことを言ったのでしょうか」
「だって、同じことしか聞かないでしょ」
 型通りのことしか聞かないではないか…独自の視点はないのか…遅れている日系社会には興味がないのか…勉強が足りない…。かわい気のないババアだと思っただろうが、ホンネである。
 邦字新聞には運命共同体的な親しみをもっているが、こんな若い人たちが大多数の日本はどうなるのだろう、本気で心配する。
 叱ることもできない優しくなってしまった日本人。痩せることはいいことだと、きゃしゃで子どもも産めないように細い女たち。まるで頼りない幼児のような政治家たち。民主主義70年の総決算がこれである。大家族は嫌われ、核家族になり、孤独死する高齢者。
 ベンジャミン・フルフォードというジャーナリストがいる。「フォーブス」という米国経済雑誌の元ジャーナリストである。私は経済音痴だから手にしないが、「フォーブス」はブラジルでも街頭のキオスクでいつでもお目にかかれる雑誌だ。ブラジルの知識層が読むのだろう。孫と話しているとこの雑誌の名前がよく出てくる。フンフンと思う。
 フルフォードはいう。

『超図解 ベンジャミン・フルフォードの 「世界の黒幕」タブー大図鑑』(ベンジャミン・フルフォード著、宝島社、2017年)

『超図解 ベンジャミン・フルフォードの 「世界の黒幕」タブー大図鑑』(ベンジャミン・フルフォード著、宝島社、2017年)

 『日本人に戦争への罪悪感を覚えさせ、日本人が誇りにしてきた歴史や文化、伝統を破壊して、日本人自身が日本民族を破壊するような精神改造、洗脳を施こされた(『世界の黒幕タブー大図鑑』宝島社)』
 これを読むと最近の日本人像が納得できる。
 『私は金融ジャーナリストだ。きちんと取材してお金の流れを調べていくうちに、公式発表の統計データーが明らかにおかしく何者かによって意図的に操作されていることに気が付く』
 こうして世界の黒幕の存在を指摘し、世界の富の99%がたった1%のニンゲンに牛耳られている。さらにこの1%を支配しているのがわずか700人の人間だという。
 これで思い出したのが故斉藤広志氏である。USPの教授になったころだったか、「いやあ、ブラジルは10%ほどの人間が権力を持っていて、あとの90%は顔のない群衆で人間じゃないんだよ」。
 この話に愕然としたものだが、ブラジルでさえこれならベンジャミン・フルフォードのいうのも真実に近いだろう。けっきょく、我々は何も知らされていないということだ
 『ダークサイド(旧体制が)が作りあげた世界は、一部の特権階級が、大多数の人々を「奴隷」のように管理し、搾取し、富を奪い尽くす体制になっていた…わずか『700』の個人、グループ、一族のための世界となってきた』。
 フォードは最後に提言する。
 どうすればいいのか。簡単だ。イメージすればいい。一人ひとりが「ニューエイジとなった世界」を想像すればいいのだという。
 『ニューエイジの世界は東洋文明と西洋文明が融合する。過去東西は対立し、一方が一方を搾取する関係にあった。とくに、19世紀以降は、西洋が東洋を植民地にしてきた。それが融合するのだ。まさに歴史に残る歴史的な転換となる。
 私は『東西の結婚』と呼んでいる。そこから生まれた新しい文明が21世紀を引っ張っていく』
そうなって欲しいと思う。そんな世界を子孫に残してやりたい。
 『プレートに培地を作ってそこに細菌の群生を移植し、どの菌がどのようにふえるかを見る実験法』があると深沢はいう。
 ブラジルという培地に日本人という菌を植えつけ(培地のブラジルは現在カオスの極みだが、いずれ浄化作用は終わるだろう)て100年経った。もう100年後にはどうなっているのだろう。菌はすでに日本人とよばれていないだろう。異星間の交流がさかんで、地球人とよばれているのだろうか。
 そこで私はメンバーに宿題を出した。
 「50年後のわが家族」をイメージしよう。
 100年では想像の羽が伸びない者もいるだろうし、日系社会ではくくりが大きすぎて手におえない者もでてくるかもしれない。そこで50年後のわが家族とした。ひ孫までなら予想できそうではないか。
 どんな回答が返ってくるだろう。楽しみだ。


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