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回想=渡満、終戦、そして引き揚げ=浜田米伊=(4)

 この時に幼児でも連れていて、その子がもし泣き出して満人の部落の犬が吠えたりして目を覚まさせたら、皆が殺されてしまうといって、小さい児を連れた母親はみんな「家に置き去りにしてきた」というから、可哀想なものです。そういう子供たちが満人に育てられ、後日、戦争孤児となって、日本に帰ってきた親や兄弟たちを探してもらったりしたそうです。
 現に私の親友が、そういう仕事をしていました。彼女は父が満州で悪性感冒に罹り亡くなられました。もう1人の私の同年の友達は、お母さんが亡くなられました。私たちの団に1人、8歳になった女の子がただ1人、皆と共に帰日した子がいました。彼女のお父さんは招集でソ連へ連れて行かれ、お母さんや男の兄弟もおりましたが、皆が悪性感冒で死亡したのです。その子はたった1人、生きて日本へ帰ったのです。
 質の悪いこの伝染病は、栄養失調の体には強く影響しました。毎日毎日、老若男女を問わず次々と大事な命を失ってしまいました。何しろ酷寒にもかかわらず、着るもの食べる物も充分になく、衰弱している体では、快復は難しいことだったと思います。私も最初の内に罹りましたが、症状が軽かったので、お陰さまで元気になりました。
 ご飯を食べるといっても、大きなあの長州風呂の釡で共同炊事ですから、水気が多くズブズブに炊いた粟のお粥を、1人に1食分が、ここで言えばレイチ・モッサ(練乳の商標)の缶位の大きさの空き缶に7分位の分量。病人がいる人は、街へ米を買いに行かねばなりません。この時は腕に腕章を付け、警備兵が付いて行くそうです。私の家族はただ1人もこんな事はなく、お陰さまで生きのびてきました。
 健康な者は毎日死人担ぎでした。私と同年の友達に、お墓を見に行ってみましょうかと誘い、行ってみたら、びっくり仰天! そこには、みんな亡くなった人を地上に据えてあるだけです。寒い時期には墓穴を掘る事も出来ず、一面に置いてあるだけ。それを夜は狼が出て来て食べると聞いて、またまたびっくり。家族の方はさぞ辛かった事と思いました。
 一家全滅の人達もありました。担いで行く時にも、温かく巻いてやる布も毛布なども無論なく、充分に着せてもやれず、顔をかくしていても女の人の頭髪がぶら下がっていたのを、私は忘れられません。
 札蘭屯(ジャラントン)には方々の開拓団の人が集まり、中でも私が覚えている団名は、大阪開拓団、伊南、ふき原、佛立、十津川、菊六などです。佛立開拓団の方たちは、その名のごとく毎日毎日、南無妙法蓮華経を団体で唱えてお祈りしておりました。
 そこに滞在中は、みんながそれぞれの使仕役について、わずかな給料で生活しながら次の南下を待っていました。
 ある日のこと、私と義妹(ぎまい)(兄嫁の妹)と2人で薪(たきぎ)を拾いに行きました。官舎の大分向うに大きな湖(ラゴア)がありました。私たちはその少し手前で薪を探して集めて置いてから、もうちょっと向うのそのラゴアへ行きました。
 するとその水べりに、軍服の破れたものに血の塊が付いており、半分は水の中にあって、人間(兵隊さん)の手の筋が真白に水の中でユラユラしていました。私たちがびっくりしていたその瞬間、鉄砲の音がしたので、一目散に官舎へ逃げて帰りました。音だけだったのでまだ良かったものの、あれが私たちを目がけて撃ったもので、見られていたなら官舎までも追っかけられるか、それとも途中で捕まるか殺されるかだったかもしれないと思いました。この時も、お陰さまを頂きました。いくつもいくつものお陰さまを頂いて、生きてきました。

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