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チリ雑感、国際化と日本人性=孫娘の結婚式で思ったこと=アスンシオン在住 坂本邦雄

孫娘イズミとその夫のオランダ人の青年

孫娘イズミとその夫のオランダ人の青年

 チリのサンティアゴ市には、長女スギの嫁ぎ先のコバヤシ一家が住んでいる。
 古い話だが、家長(婿のキミオ・パトリシオ)の祖父は1938年頃、チリに単身渡航し、チリの女性を娶った山梨県出身の、故小林ヒサシ(久氏?)で、かつて同国北部の1つの州アタカマ第3州チャニャラルで銅鉱山を開発した人だと言われる。
 父君のキミオ氏(公夫? 二世)は、三世のキミオ・パトリシオがスギと結婚した後で間もなく亡くなった。
 このコバヤシ家の次女イズミ(孫娘)が、企業家で長年チリ在住のオランダ人の青年(Wouter Keekstra)との結婚挙式のために、昨年9月に一家5人してオランダの新郎本家を訪問した。
 そして、今度は新郎の父母や家族がチリに来訪し、改めてチリでの挙式披露宴を3月17日(土)に行なった。ブドウ園及び葡萄酒醸造所も併せて経営し、観光業も兼ねる「el」社のイヴェント会場で開催すると言う次第で、私共夫妻と長男の3人は、この11日にサンティアゴ市に久し振りに来たのである(なお、14日には次女のミドリと娘(孫)のテルミが同じくアスンシォンから駈け付けて来た)。
 当日は絶好の飛行日和で、アンデス越えの機窓から覗く天下の大山脈の威容は素晴らしい絶景だった。
 着いて見ると、中道右派セバスティアン・ピニェラ大統領の就任式が、サンティアゴ市より120キロ離れた太平洋岸の、ビニャ・デル・マル市在の国会で終了したばかりのところだった。チリ初の中道左派の女性大統領バチェレ氏と前後交互して、二度目の政権交代で再任だ。
 この就任式にはスペインのフアン・カルロス前国王を始めとし、伯国のテメル、亜国のマクリが出席した。特筆すべきは、1962年来、宿願の太平洋岸へのアクセス領土問題の紛糾で、チリと大使級の国交は断絶しているボリビアのエボ・モラレス大統領が出席したことだ。
 他にペルーのクチンスキ、エクアドルのレニン・モレノ、ホンジュラスのエルナンデス等々の各大統領が参列したが、なぜかパラグァイのカルテス大統領の姿は見られなかった。

チリのコバヤシケの皆さん

チリのコバヤシケの皆さん

 この度のピニェラ大統領の再登板で南米の右派勢力が更に強化された訳だが、ブラジルのテメル、及びアルゼンチンのマクリ両大統領とピニェラ新大統領の間で早速の会談が行われた。
 ちなみに南米では、これで異端児マドゥロ大統領のベネズエラ支持国はボリビアとウルグァイだけになった。
 チリは1990年、ピノチェットの軍政権失脚以降、民主主義政体に移行し、深刻な政治、経済、社会問題に悩む多くのラ米諸国の例外モデル国だ。
 今回の政権交代も大統領の二期連続再選を禁じる憲法の掟による現象(ウルグァイ国も同様)だ。ところが違憲であるにも拘わらず、強引に連続再選を狙うパラグァイの(現・旧)為政者らは、この点を良く学ぶべきではないかと思われる。
 話は長くなったが、本題の孫娘の結婚式は予定通り、先述のクアドロ農牧場の教会においてカトリック様式で行われた。続いて正午過ぎから施設内のイヴェント会場で披露宴の会食に移り、夜中まで約150人の来客が賑やかにダンスを楽しんだ。
 前日の夜はサンティアゴ市のコバヤシ家で、風車とチューリップの国オランダの婿本家の人達との顔合わせで、パラグァイ産の牛肉で焼肉会が催された。
 このように見て来ると、我が家の家族は日本とパラグァイのハーフで、片やコバヤシ家はチリとハーフの二世息子を始めとし、又その息子のハーフ三世パトリシオの次女イズミ(吾が孫娘)がと結ばれ、即ち日本とパラグァイ(スペインーグアラニ族)、それにチリ(スペインーマプチェ族)と、今度はオランダ人の血筋を引く国際色豊かな構成を為す次第となった。
 問題は、先方家族とのコミュニケーションだが、なんとか娘や孫達が私のブロークン・イングリッシュを助けて下れる。誠に和気藹々とした愉快な国際的な雰囲気の中で、なぜ人類は昔からお互いに戦争ばかりしなくてはならないのかと、つくづく思ったりする。
 ここで今一つ考えさせられる事は、私はチリの日本人社会の事情は良く存じないが、コバヤシ一家の様な存在が余り地元の日本人の間では知られず、段々と埋もれ去って行くのではないかと言う疑問である。
 当の本人達は日本人の後裔だと意識していて、日系人としての誇りも有り、日本の色んな事を尋ねるのだが、私も充分な事が答えられない。パラグァイの我が家でも然りである。
 古くから海外諸国に雄飛し、長年にわたり営々として日系人の信用の礎と、その受け入れ国で各分野の発展に、それぞれが残した貢献・功績は、祖国日本の尊い宝に他ならないと本邦政府も認めている事である。
 この点、さすがに日本人移住先進国のブラジル日系社会は、世代交代が進む中で日本特有の良い文化や日本人の特質を次世代に受け継いで行く重要性を正に認識している。
 ジャパン・ハウスを日本国外務省の肝煎りで設置して、日本人の特性の活発化に努める以外に、先人の人知れぬ遺業の発掘・紹介が、同国の日本人移住110周年記念祭に呼応して、邦字紙等の地元運動が様々な形で進められて居る様に見受けられる。
 これと同じ事をパラグァイやその他の日本人移住先国でそれぞれ求めるのは、力学的に無理かも知れない。だが、せめて模範、または一つの指針として学ぶべきであろう。
 話が飛んで申し訳ないが、チリは尚武(「武道・軍事などを大切なものと考えること)の国で親日的である。
 余談だが、その昔スペインの征服に抗し、マプチェ族を指導して戦った軍事指導者ラウタロは先住民族の英雄で、その伝統が有るチリの軍隊は戦争に強い。
 ボリビアは1880年代に、同盟国ペルーと共に戦った、太平洋岸の硝石利権を巡ってのチリとの太平洋戦争で失ったアントファガスタ地域の沿海領土(太平洋への出口)の挽回訴訟を、目下オランダのハーグ国際司法裁判所において係争中で、ちかぢかその山場を迎える。だが、仮にもまたチリと戦火を交える様な事にでもならなければ良いがと思うのは、今頃は要らぬ余計なお節介だろうか。
 なお、付言すればチリは還太平洋火山帯に在って、日本に次ぐ地震大国である。
 私はその日本で生まれ幼少の頃、地震を経験しないまま、当初ブラジルに移住したので地震の恐ろしさを知らない。
 そして、過去何度もチリに来たが、地震に遭った事は一度もない。
 しかし、8年前の2010年2月初旬に、次男の邦人とアスンシォン市より車でアルゼンチン経由の険しいアンデスの国境を超えて、チリのイキケから「ウナギの寝床」の様に南北に細長いチリ国南端のプエルト・モント地方まで縦走した。
 そして、サンティアゴ市への帰りの途中コンセプシォン市で、マグネチュード8・8度の大地震と津波が我々の通った直後に起きたが、幸いその惨事に遭う事はなかった。
 時はちょうど第一期バチェレ政権末期の、ピニェラ大統領との政権交代直前の事。あいにくバチェレ大統領はその緊急救済対策と政権移譲の用意で多忙の日々に追われた。
 今回、再びバチェレ及びピニェラ新・旧大統領の政権交代の折に、奇しくもまたチリに来た訳だが、ピニェラ新政権多幸の前途を願って、チリ名物のブドウ酒で大いに乾杯する事にしよう。

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