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どこから来たの=大門千夏=(88)

 「エッ」吉田君はやっと真面目な顔になってきた。
 「日本人学校は月謝が高いから近所のお坊さんに習ったといったけど、五〇〇ドルのルビーを買ってくれる親がいてどうして高いの? それにお坊様に習ったくらいでは、あれだけ日本語が流暢に話せるようにはならないわ、よーく考えてごらん。何もかもおかしいと思わない? あの封筒の中――あの中は本当に大学入学願書だけかしら?」
 「それ、どういうことですか?」彼はだんだんと真剣な顔になってきた。
 「あの封筒の中に入っているのは願書だけではないと思うけど…」そこまで言うと吉田君はびっくりして真剣になって私の顔をじっと見つめて、それから信じられないという顔をして、「あんなにかわいい顔をした娘が…まさか!」と首を振った。しばらく間をおいてから、「言われてみるとおかしいです。色んなことがおかしい。…そうだ、本当にそうだ。…あの封筒の中に入っていたものは…」吉田君は大きく眼を開いて眉間にしわを寄せて絶句した。
 ミャンマーから毎年少しずつ増えて今では年間一〇〇人以上の留学生が日本に勉強に来ているという。しかし国に帰ったら全く仕事がないと嘆いている。
 私たちが雇ったサイカーの運転手は三〇歳そこそこの男で、賢そうな澄んだ目をしていた。
 「僕も、家内も高校を卒業しました。でも二人とも仕事がないのです。ずいぶんあちこちの会社に願書も出したし、歩きまわって雇ってくれるところを探しましたが、何処にもないんです。僕だけではありません。高校時代のクラスメートほとんどだれも就職していません。この国には仕事がないのです。外国に働きに行きたいけど出ることもできないのです。パスポートを出してくれません。もちろんお金もないし…この国の政治が悪いんです」
 どこの町に行っても似たり寄ったり、若い人たちがみんな仕事がないとこぼしていた。
 せっかくの頭脳もこの国では「無用の長物」としか扱われていないみたいだ。親が政府のエライ役人であるとか、上級軍人であるとか、強いコネがないと仕事にはありつけないのが現状だといった。布地を買いに行ったら、機械織は手織りよりはるかに高い。包装紙は工場で作られたものは手すきの紙よりはるかに高い。だから何を買っても手すきの紙で包んでくれる。そんなわけで工場は少なく、商品の需要は少なく、働き口はない訳だ。
 あの娘もきっと夢や希望を胸に抱いて留学から帰ってきたに違いない。日本人との交流を通して、日本語を覚え、日本の文化に触れ、日本とミャンマーの良き架け橋に、良き理解者になるはずが、帰ってきても仕事が見つからなかったのではないだろうか。
 あの美しさと利発さ、優しい笑顔、完璧な日本語。
 私の意地悪い想像が間違っているようにと、ねがっている。         (二〇〇八年)


 もう一度会いたい人(イタリア)

 長靴型をしたイタリア、その丁度ふくらはぎに当たる所にアンコーラという港町がある。アドリア海に面した小さな町で、ここからクロアチアに行く船が出ている。イタリアの暑さに音をあげた私たちは早朝船着き場に向かった。
 反対側から「行商の中国人」と言った感じの小柄な女性が一人こちらに向かって来る。

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