ホーム | 文芸 | 連載小説 | 私のシベリア抑留記=谷口 範之 | 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(7)

自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(7)

 今でも私は思う。爆雷を胸に抱き、敵戦車に肉弾攻撃を仕掛けて無念にも死んでいった、名もない兵士たちを。そしてその壮烈な死を誰一人一顧だにしなかったことを。彼ら一介の兵の戦死は持て囃されることが全くなかったのである。
 これに対して飛行機、小潜水艇などによる特攻は実に華々しく喧伝され、顕彰された。行動の派手さ加減が人々の注目を集め、宣伝効果を図ったとしか思えない。

  二、正夢

 大興安嶺の密林を縫う軍用路は昼間でさえ薄暗く、陽が落ちた今は星明かりも通さない暗闇である。前を行く戦友の気配をさぐり、闇に馴れた目になんとなく仄白く感じられる路面に目を落して、ただ機械的に足を動かしていた。
 布陣した日に届けられた二コの握り飯のほかには、二袋の乾パンと鰯の小缶詰だけで六日間をしのいだ。八月とはいえ海抜一八〇〇mの夜は冬の気温である。空腹に加えて寒さは睡眠不足となって体力を急速に奪った。
 そして、この夜間行軍である。もうこれ以上歩けないと思いはじめた頃、それまで紆余曲折していた路が平坦になってきた。歩き易くなると疲れが軽くなったようで、辺りの様子が目につくようになった。両側から覆いかぶさっていた樹木は、左方の木立が疎らにかわった。星明かりでもかなり奥まで見通すことができた。右側は黒い影の密林が続いている。
 どこかで見た光景なのだが、極度の疲労のために思い出せない。苛立ちを覚えながら二、三〇分も歩いた頃、路は鉄道の踏切りにさしかかった。踏切りを渡りながら左方に何かを感じて顔をあげた。二〇数mのところに、星空を背にした機関車が、黒々と影を浮かび上がらせて煙突から煙を吐いている。
 (あっ、病気の回復期に見た夢と同じ光景ではないか)
 さきほどからどこで見た光景なのか思い出せなかったが、記憶が一度に甦った。踏切りを渡り終えると、路は左に折れてはるか向うに灯火が一つポツンと瞬いている。背筋を冷たいものが走った。時間が逆回転し、あの夢の中に戻っていった。
 =長時間の行軍、左方の薄い木立、踏切り、左側で煙を吐く機関車、そして一つの灯火=
 頭の中で夢とこの現実が重なりあった。
 夢の続きの冬枯の荒野に佇つ私、見知らぬ数人の白人の会談、生還した私を無表情で迎えてくれた父母と、味のない特大の卵焼が、回り灯籠のように、頭の中を目まぐるしく回転した。
 この残りの三つの夢は、これから先に起こることを暗示しているのかと思うと、云い知れぬ感情が胸中を揺れ動いた。
 数人の白人の会話を除き、現実に、九月には荒涼とした枯草が広がるシベリアの、音さえ凍る冬景色のなかに放りこまれた。
 時には零下四〇度にもなる酷寒と、絶望を通りこした飢餓地獄と、強制労働を、思う存分味あわされたが、なんとか生き延びた。
 故郷のわが家に帰りつくと、母は卵焼ではなく、夢にまで見続けた白米の飯を、釜一杯に炊き腹一杯食べさせてくれた。
 まさにあれは正夢であった。
 だが一〇人が一〇人、私の正夢を〃既視感〃だろうと言って本当にしなかった。あの夢と現実にあったことのなかで、違っていたのは、白人の会談がなかったことと、母が食べさせてくれたのは、卵焼ではなく、白米のご飯であった。

image_print

こちらの記事もどうぞ