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配偶者亡き後の生き方「没イチ」をどう生きるか(1)=男性が孤独にならないために=聖市在住 毛利律子

【参考写真】じっと遠くを見つめる高齢者男性

【参考写真】じっと遠くを見つめる高齢者男性

 「会うが別れのはじめ」という言葉があるが、現在の高齢化社会で大きな課題の一つになっているのが「配偶者亡きあとを、伴侶はどのように生きるか」ということである。離婚を経験した人のことを「バツイチ」と言うが、伴侶に先立たれた高齢者のことを「没イチ(ぼついち)」と呼ぶそうだ。

  この話題がNHK朝のニュースで報道されたことはすでにご存じの方も多いと思う。報道によると、配偶者を亡くした人は65歳以上だけで860万人以上。年々増え続けている。妻や夫に先立たれた配偶者は、かつては子ども世帯と暮らしている人が多かったが、核家族化が進む中で1人暮らしのケースが増えている。

 しかもその実態は、特に男性が遺された場合は悲しいまでに孤独なのである。

 配偶者を亡くした後の人生をどう生きていくのか。深い喪失感を抱きながらも、前を向いて生きることを支えようという動きが広がっているという内容の報道であった。

  「没イチ(ぼついち)になったら」

  「没イチ」、特に残された男性が孤独にならないように配慮するための取り組みとして、例えば、第一生命経済研究所や、大阪のNPO法人などが、「没イチという生き方」「配偶者亡き後の人生の過ごし方」などがその活動ぶりを紹介している。

 第一生命経済研究所の主催する「没イチの会」の小谷みどり主任研究員は、この『没イチ』という言葉の意味を『配偶者を失った悲しみを抱えながらも、配偶者の分も精一杯生きる』という強い思いが込められている」と説明している。

「早く亡くなった配偶者の分も、残された私たちは人生を楽しむ義務がある。ここは悲しみを癒やす会ではなく、1人になった人がどう立ち上がっていくかということに積極的に関わる会が地域にどんどんできていけばいい。」とその目標を語たる。

 すなわち、悲しみを共有して『話し合う場』だけにしてしまうと、どうしても男性の参加が少なくなってしまうというのである。大阪のNPO法人では、例えば『介護施設の見学会』などの看板を掲げ、自身の立場を含めた老後生活に役立つ勉強会を開いたりして、男性も参加しやすいように工夫していることである。

 この会の調査結果によると、配偶者に先立たれると、女性に比べ男性の方が孤独に陥りやすいことが分かってきた。女性のように、いつもハチ切れたようにパワフルで、死ぬまで自分ファーストで生き抜く力は、男性は意外に弱いというのである。

 配偶者の死後、女性は半数の人が「外出時間が増えた」と答えるのに対し、男性はその反対で、妻が亡くなった後「外出時間が減った」と答えた人が最も多かった。

 男性は『妻より先に自分が死ぬんだ』と思い込みが強い人が多く、唯一頼りにしていた妻がいなくなると、路頭に迷ってしまう男性が多いという調査結果である。男性のそういう思い込みはたぶん、「そうであってほしい。そうでないと困る」という願望が込められているのではないか。「妻にはたくさん苦労をかけてしまったので、ワンマンだった自分が先に死んで、少しは呑気にさせてあげたかった・・・」との自責の念を含んだ優しさの表れでもあろう。

 また、回答者は配偶者を亡くした後に『前向きにね』とか『頑張って』と言われることが『つらい』という。このような思いには、周囲の人たちが寄り添って、当人の辛い思いに耳を傾けることが大切である。

 男性の方は、女性に比べて、地域とのつながりが少なく、自分から新しい輪に加わることは苦手という回答も多い。特に高齢男性は女性に比べ、プライドが邪魔をして要介護になってもデイサービスなどを利用せず、家に引きこもって酒浸りになる。男性は「つるんでいた友人が亡くなってしまうと途端に居場所がなくなってしまい、そのために認知症が進んでしまうことが多い」。

 そこである介護ホームは、高齢男性を外に誘い出し「元気なじいさん作り」プロジェクトをスタートさせた。

 岡山県奈義町が取り組んだプログラムには、「ちょいワルじいさんプロジェクト」があり、具体的には、高齢男性を家から連れ出すためのきっかけづくりを始めた。その目的は、介護予防に必要な、運動と仲間づくりである。

 仲間ができれば、より活動的になる。男性が最期まで遊び心を持って「ワルさ」ができるように、アイデアを出してくれる有志を募り、60代以上の男性が中心となって活動する場を作る。その場所は、スナックであったり、周辺の日帰り旅行や介助付きの日帰り温泉旅行などの企画を立てている。

 また、老人はそのままで俳優になれるということから、劇団を結成して芝居もはじめた。

 前出の小谷主任は、定例会で次のようなことを奨励している。

「毎日お風呂に入る。1日2食以上食べる。野菜をいっぱい食べる。毎日外出すること」

 例会での話題作りには、亡くなった配偶者のことだけでなく、それぞれの趣味の話を引き出す。

 すると、ある男性は妻への供養のために庭つくりに乗り出し、花いっぱいの庭を造った。

 別の男性は、「趣味の話をする仲間を得ることができ、『おーすごいなあ』とか言ってもらえると嬉しい。落ち込んでいたら、カミさん悲しんでしまう、たぶん…、私の居なくなった後は元気にやってください』と、きっと言うだろう」と発言するまでになった。

 当然、長年連れ添ってきた夫に先立たれて妻の立場が元気であるはずはない。妻は常日頃から、「あなたを後に残して逝けません」と思っているに違いない。なぜなら、長い道のりを共に歩んできた夫婦の人生には、二人のすべてが収斂されているのだから。

 

【参考写真】散歩をする高齢者

【参考写真】散歩をする高齢者

ブラジル日系社会の高齢者は活発が好き?

 

 先に述べた様々な取り組みを具体的に挙げてみよう。

●積極的にグループ活動に参加して、他人との触れ合いを楽しむ。

●カラオケ大会や団体旅行など、多くのリクリエーションを日々の生活の中に取り入れる。

●体操やウォーキングなどを習慣にして、活発に身体を動かす。

●いろいろなことに好奇心を旺盛にする。

 ブラジルの日系社会でも同様な活動があり、あるいは、日本よりもはるかに楽しい活動に連日参加しているという話もたびたび見聞する。

 実際、ブラジルの日系社会関係や親子関係は、日本国内の人間関係よりもより濃厚密接な印象を強く受ける。多くのお年寄りから、毎日というほど孫や子供の誕生日会があり忙しいという話を聞くこともある。少子化の日本では、ほとんど耳新しい話である。

 日本では「孫が生き甲斐」と考えるおじいちゃん、おばあちゃんもだいぶ減ってきたのではないか。むしろ「来て嬉し、帰って嬉し、孫との付き合い」を上手に果たしたい、「子供家庭との程よい距離の保ち方」といったお付き合いマニュアル本が大量に出回っている時代である。

 

孤独でも、上手な老いの過ごし方

 

 年老いて伴侶を亡くしたさみしさを埋めるために、即、グループ活動に参加という前に、ちょっと立ち止まろう。グループとは、つかず離れず、人間関係の煩わしさを回避して、「自分の時間」を大切にする傾向も一昔前よりずっと多くなった。

 そういう人々を対象にした本や趣味も豊富に紹介され年々増えている。つまり、孤独になっても上手な老いを過ごそうという提案も同時進行しているのである。

 作家の五木寛之氏の著書『孤独のすすめ』の一文を紹介すると、

    ◎

「前向き」の呪縛を捨てよう。人生の後半は後ろを向いて進む、振り返って進む(後進と背進)のがよい。テレビで紹介される元気な老人の姿を見て落ち込む老人の方が圧倒的に多いからだ。元気な人と比較して落ち込むより、昔の自分を回想して咀嚼する方が良い。昔を振り返り、思い出を紐解くことは、尽きせぬ喜びに満ちた時間になり、誰にも迷惑をかけない。お金もかからない。」

    ◎

 また、五木氏は人間の晩年期を次のように分けている。

「50代は下山の時。60代は孤独を楽しむ。70代は黄金期。80代は自分ファースト。90代は妄想する生活」

 言い得て妙に説得力のある分析ではないかと読んでいて嬉しくなり、70歳目前の私は「いよいよ黄金期到来か…」とほくそ笑むのである。

 例えば90代で伴侶を亡くしたら、過去の人生を妄想して過ごす。フランスの諺「何はともあれ人生は美しい」と妄想する、なんと素敵な人生の達人の境地ではないかと感動すら覚える。

 この頃は「自分史」を出版する人が多い。そこで、「オレ、ワタシの移民一代記」なるものを書いてみるのも好い。自分のブラジルでの歴史を振りかえり、過去を尊び、今に感謝する。

 自分史を纏めるには多くの人々の歴史を読むことになるだろう。その中の登場人物は全て最高の友になる。反面教師もいれば、最高の師匠もいる。

 人付き合いは大切だが、どっちかといえば苦手という方は、自分流の上手な老いの楽しみ方探求も上等な活動ではないか。そして、時折おしゃれをして、さっそうと人間社会に顔を出そう。

 

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