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自分史=私のシベリア抑留記=(27)=谷口 範之

 将校、炊事班一一人は発疹チブスの伝染を恐れて、患者も死者も放置していたのだ。そして死体の搬出を帰ってきた伐採班二五人にさせたのである。
 昨年一一月以降、飢餓地獄に落ちた兵は衰弱しきった揚句、病に斃れ苦しみながら息絶え、残ったものは息をしているだけの有様で放置されている。
 兵営や戦場で死なばもろともと誓い合ったあの一心同体感は、私たち兵にとって一体なんであったのか。ハーグ條約とかを盾にして、己の安全のみを謀る将校たちの手前勝手さが、たまらなく腹立たしかった。
 棒を組み板を張って急造した寝台に、身動きすらしないで横たわっている哀れな戦友たちのなかから、死者を運び出すのは容易ではなかった。
 脈が細くて手首や首筋では脈をとらえにくかった。鼻に手を当て、かすかな呼吸の有無で生死を判断した。
 初日、死体を安置する場所がないことに気付いた。それほど搬出した死体が多かったのである。仕方なく宿舎の前に積み上げた。五日目に死体の搬出を終えた。死体の山は三ヵ所にもなった。
 死体は合計一六二体。一一月と一二月の二ヵ月で一六二人も死んでいた。一〇月までに八一人が死んでいるからラーゲリに入ってから四ヵ月間で二四三人が、年を越せなかったのだ。死亡率は三九・二%に達している。
 初日、親兄弟や妻子の方々の嘆きを察し、死体を凍土の上に山積みにする手が鈍ったが、半ばを過ぎる頃には、機械的に体が動いていた。死者への尊厳のかけらすら失っていた。
 死者のなかに真新しい冬服を着ているものがいた。別の場所に置き夜中に上衣をはぎ取ることにした。死体は硬着し凍っていた。上衣の袖から腕が抜けない、腕の関節を膝にあてて力をこめると、関節がボキと鳴り自由に動くようになった。死体から上衣を脱がし、ボロボロになっている自分の上衣の上から着る。もの皆凍てついている深夜、私の顔は恐らく夜叉になっていたに違いない。
 死体を運び出すにつれて、急造の寝台は空間ができゆっくり横になれた。三日目の夜、腋の下を蟻が這うような感触がした。直感でシラミだと思ったが、暗闇だから確めようがない。
 翌日、隣りの戦友が息を引取った。昨夜腋の下をゾロ、ゾロと動いたシラミは、隣りの戦友の死がすぐそこに来ていることを察知し、私に移りかえてきたのだ。死者のシャツを捲ってみると、卵はあったが成虫は見当らなかった。
 半ばどうにでもなれと思いきりよく伐採に応募した結果、こうして戦友の死体を整理したが、もし伐採に行かなかったら私もこんなになっていたかもしれない。
 そんなことを考えていると運命などというものは、他動的であろうと自動的であろうと、なるようにしかならないんだと結論づけていた。恐らく虚無状態になっていたのだ。

  二、軽症患者を病舎、重症患者を病院へ

 兵用宿舎第一棟の裏側は柵に接している。その柵のすぐ下側に、村の公会堂が建っていた。一月半ば、この公会堂が病院に転用された。自力で歩けない患者二〇〇名余りが入院することになった。

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