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特別寄稿=散り際の美学=<1>=聖市在住 脇田 勅(ときお)

 年を取れば自分の来し方が懐かしくなるのは、人間の自然です。老人は思い出に生きるともいわれます。県人会のことも、今となっては往時渺茫(びょうぼう)、すべて夢に似たりの感を深くしています。
 流れる時のしじまに、わたしは思い出すのです。はるか茫漠の時空を超えて、今なお胸迫りくる三十四年前、一途に信念を貫いた思い出。米寿を過ぎ、人生を終わりかける年齢に達した今、往年を顧みて感慨ひとしお深いものを覚えています。
 わたしが散り際の美学を貫いた人生劇場の舞台は、ブラジル福岡県人会です。
 福岡県人会の会長選びは、立候補制ではなく任意投票制です。したがって、わたしは自ら手をあげて会長になることを希望したのではありません。十二月の相談役、理事、監査役、支部長の合同会議での任意投票によって次期会長に推薦され、翌年二月の定時総会で承認されて会長に就任しました。一九八二年で五十三歳のときです。
 わたしは会長になっても、いつまでもこの職にしがみついて長く続けたいという名誉欲はありませんでした。そういうことは、わたしには無縁の世界でした。というのは、「トップは長きをもって貴しとしない。やった仕事の内容で決まる」という名言を、わたしはトップに対する評価の尺度として持っていたからです。それでわたしは名誉欲よりも、県人のために何かを成し遂げることの方に関心をもっていました。
 県人会は周知のように、同郷のよしみによる親睦と交流を目的としています。それで、県人会の運営基盤を強固なものにして、将来の発展に備えるという明確な目的意識をもって、会長としての責任を果たしていくことを、わたしの努力目標としました。
 運営基盤の強化を計る上で考えたのが、次の点です。各所に散在する会員を点とすれば、それをつなぐのは機関紙であり、これが線となるものです。そして、この線は数が多いほど組織は強化され、会員の団結は強まります。
 結論は、点を線で結び、その線を太くすることがキーポイントであると考えました。この結論に基づいて、それまで年一回発行の機関紙『玄海』を年四回発行することにして、ページ数を増やすとともに、二世三世のためにポルトガル語のページを設けました。
 また、「トップの価値は、その責任感と信念との失われた瞬間に消滅する」というのが、トップについてのわたしの価値観でした。だから、わたしは会長在任中に、これを自分の自戒の言葉としていました。
 会長の責任について、わたしは次のような持論を持っていました。どんなことでも大局的に見て、それが県人会の利益になると判断すれば、一部役員の意見に逆らっても、勇気と信念をもって県人会を引っ張るのが会長の責任だと。
 要は、決断と責任を負う勇気の問題。それから、トップは何を成すかと同時に、どう去るかも厳しい対応が求められるものだという処世哲学を身につけたいとも思っておりました。
 司馬遼太郎の小説『峠』に登場する幕末の越後長岡藩家老・河井継之助。武士道に生きるため、長岡藩を率いて官軍と戦った彼が残した言葉、「進む時は人任せ、退く時は自ら決せよ」を出処進退の至言として、わたしは自分の行動規範としていました。
 一九八二年十一月に、日本航空から県人会に日本行きの航空券がきました。理事会では、わたしが会長に就任したばかりなので、福岡県庁に就任の挨拶に訪日すべきだということになり、急きょ訪日することになりました。(つづく)

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