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散り際の美学=聖市在住 脇田 勅(ときお)=<5>

 二番目に、財界の大御所、九経連の瓦林会長にお会いして財界の協力をお願いして「やんなっせ、応援しますばい」との言葉をもらったことを報告しました。三京運輸(株)の深江社長や、甘木海外移住家族会の小島会長の話では、「瓦林さんが協力すると言われたら財界から五千万円ぐらいは集まるだろう」ということも話しました。
 三番目は一般からの寄付です。「サンパウロに来たことのある歌手の小柳ルミ子と武田鉄矢の二人で『ブラジル福岡県人会新会館建設チャリティーコンサート』と銘打って、西日本新聞社が主催することも決定しています。場所は福岡国際センターです。先ほどの二人の意見では、この興行で五千万円ぐらいの収益は見込まれるということです」と説明しました。
 それから、東京に行き県出身の遠藤政夫参議院議員と大蔵政務次官室でお会いして、新会館建設に協力をお願いして快諾を得たこと。山崎拓代議士の事務所に行って協力をお願いしたところ、わたしが大学で山崎氏の七年先輩になることから、「先輩がやられるなら全面的に協力します」と言われたことなども報告しました。
「建設資金計画は、説明しましたように三本柱となります。母県に二億円申請しても、出るのは一億円が限度だろうと思われます。それに財界から五千万円、チャリティーコンサートで五千万円で合計二億円を目標にしています。この計画が絵に書いた餅にならぬよう、全力でがんばるつもりです」と報告を終わりました。
 報告を終えると理事会では、会長はよくこれだけの仕事をしてきたと称賛の声が上がりました。えらいお土産を持ってきてくれたと大変喜んでくれました。そして全会一致で新会館建設案を承認。これでわたしの独断専行も無罪放免となりました。
 この理事会決議を受け、続く二月二十日の定時総会に新会館建設の議案を提出しました。この総会の席でも、わたしが日本で新会館建設のために務めた二億円を目標とした資金調達計画について説明しました。起立採決の結果、賛成二五〇に対して反対六の絶対多数で承認されました。
 起立して新会館建設に反対の意思表示をしたのは、名誉会長とその友人たちでした。そしてこの反対が、後に県人会の歴史に汚点を残す前代未聞の事件の始まりになろうとは、神ならぬ身の知る由もなかったのです。また、これがわたしの引責辞任につながっていこうなどとは、わたしの想像の範囲をはるかに超えるものでした。
 総会での承認を受けて、早速母県に提出する新会館の青写真作成に着手しました。五月一日に名誉会長、理事会、監査役、支部長による合同会議を開催して、『新会館建設委員会』を発足させました。わたしは自ら委員長に就任し、総会で新会館建設に反対した名誉会長も何の発言もなく、名誉委員長に就任しました。
 ところが六月末に、福岡県海外協会事務局長名で一通の封書が届きました。それには、『新会館建設については、諸般の事情がよくない。補助金の見通しもむずかしい』ということが書かれていました。わたしたちは余りの急変に驚きました。四月の県知事選挙で、わたしに「検討しますから青写真を持ってきてください」と言ってくれた亀井知事は落選し、奥田知事に代わっているとはいえ、わたしは納得できないのです。
 今まで親身になって協力してくれている深江社長に早速電話して、海外協会事務局長の書信の内容を説明しました。そして、どうしてこのように事態が急変したのか調べてほしいと依頼しました。深江社長も驚いて、「すぐ小島会長に連絡して調べます。結果は後ほど連絡します」とのことでした。
 三、四日後に深江社長から電話がきました。それによると、県人会の名誉会長であり、新会館建設委員会の名誉委員長の地位にある人が、「新会館建設の必要はなく、会員十人のうち九人が反対している」という趣旨の手紙を、県の海外協会宛に送っていることが判明しました。
 名誉委員長のこの行為を知らされたわたしたち役員一同は、みなびっくりして開いた口がふさがらないとはまさにこのことだという状態でした。これは許しがたい背信行為です。新会館建設の名誉委員長が虚偽の報告を母県にするという卑劣な手段で計画をぶち壊すという行為は、まさに言語道断で万死に値します。前代未聞のことで、断じて許すことはできません。わたしは怒りを通り越して情けない思いでいっぱいになり、哀れにさえ思えました。
 この悪意に満ちた一通の手紙によって、みんなが大きな期待をふくらませていた新会館建設の夢は淀みに浮かぶうたかたごとくに、はかなく消え去りました。県人会としても、この問題を不問に付すことはできないので、名誉会長の責任問題を討議するため、八月の定例理事会で彼に釈明を求めました。
 ところが驚いたことに、名誉会長の釈明からは罪の意識は全く感じられず、名誉会長としての適格性の無さを鮮明に印象づける結果となりました。名誉会長としての矜持も節操もなく、誠実さもなく、自己反省の欠如した人間であることを自ら証明するような内容でした。(つづく)

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