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羅府新報=アメリカ本土日本移民入植150周年=夢と希望胸にカリフォルニアへ=(6)

アメリカ本土で生まれた最初の日本人の末裔か
先祖に浮かび上がった大藤松五郎

東京在住の白石菜織さん(右)と父の白石敏男さん

東京在住の白石菜織さん(右)と父の白石敏男さん

 東京在住の白石菜織さん(19)は中学3年生だった2014年、夏休みの自由研究の課題で自身の先祖をたどっていた。祖母の白石恭子さんから聞いた「先祖にアメリカで生まれた人がいる」という話を頼りに、家系図や資料を集め調べ始めると先祖に若松コロニーの一員だった大藤松五郎が浮かび上がってきた。

帰国後、カリフォルニアで学んだワイン醸造法を日本で広めた大藤松五郎とその家族と見られる写真(ARC提供写真)

帰国後、カリフォルニアで学んだワイン醸造法を日本で広めた大藤松五郎とその家族と見られる写真(ARC提供写真)

 白石さんの父方の5代前の先祖とされる大藤は1838年、千葉県で生まれた。ワイン醸造の先駆者として知られる人物だ。
 69年に妻(名前不明)とともに若松コロニーに入植。菜織さんは「祖母から、その祖母の島崎さく(旧姓・大藤さく)は両親がカリフォルニアに入植後に生まれたという話を聞きました」と話す。この話からすると、さくはカリフォルニアで生まれた最初の日本人である可能性がある。(シュネルと日本人の妻じょうの間にできた次女は若松コロニーで生まれ、アメリカ本土で最初に生まれた日系の子どもだが厳密にはハーフ)
 羅府新報のインタビューに答えた恭子さんによると「母(並木元枝)から私の祖母がアメリカで生まれたと聞いています。一家はアメリカに一緒に行った何人かの日本人と土地をもらい耕していましたが、土地が合わず失敗して帰ってきたようです。帰国後は山梨に行って果物を作ったと聞いています」と証言する。
 日本で宮大工だった大藤は若松コロニーでも大工として働き、コロニー崩壊後は、同じく一員で大工だった増水とコロマホテルの建設などに携わる。
 そしてカリフォルニアで8年間、果実栽培と酒類醸造を学んだ。(仲田道弘著「日本ワイン誕生考」)
 ARCによると、加州サンタローサにある長澤鼎(かなえ)のワイナリー「ファウンテン・グローブ・ワイナリー」でワイン造りを学んだとされる。
 76年(明治9年)5月に帰国しその後、現在の新宿御苑にあたる内務省勧業寮の内藤試験場に勤務し、大藤はトマト缶、そして同じく若松コロニーにいた柳沢佐吉は桃缶の試験制作をしていたという。
 77年(明治10年)からは山梨県立葡萄酒醸造所(国産葡萄酒生産の第1号となった西洋式醸造施設)に勤務しワインの醸造に携わる。(西東秋男著「日本食文化人物事典」)
 85年(明治18年)にはロンドン万国発明品博覧会で山梨県産の白ワインを出品した。(富田仁編「海を越えた日本人名事典」)
 88年(明治21年)には山梨県庁を退職し、90年にこの世を去る。享年52だった。
 菜織さんは「少し前まで鎖国していたような日本から150年前に海外にいった先祖を誇りに思う。自分もいつか松五郎のように海外に視野を向け、志を持ち、人生を歩んでいきたい」と話した。

ビアキャンプ家末裔
若松ファームの未来

ビアキャンプ家の末裔のマーサ・デハスさん(右)とジュリー・アキン・バウアーさん

ビアキャンプ家の末裔のマーサ・デハスさん(右)とジュリー・アキン・バウアーさん

 その後も若松コロニーの跡地は125年にわたってビアキャンプ家が所有していたが、2010年、この272エーカーの土地は前述のARCに売却され「若松ファーム」と名付けられた。
 ビアキャンプ家の4世代目のマーサ・デハスさんによると、彼女の祖父母が亡くなった後、敷地はファミリー内で次の世代へと譲り受けてきたが、広大な敷地を維持するのは困難だったという。
 末裔は今も近郊で農園などを経営していており、5世代目のジュリー・アキン・バウアーさんは幼い頃から両親から若松コロニーの話を聞かされていたという。日系移民団の歴史を自分たちのファミリーヒストリーの一部として受け止めており、「小さい頃から彼らのことを聞いていたので、いつか日本にあるおけいさんの記念碑を訪れたいと思っていました」と話す。そして3年前に行く機会に恵まれ、会津若松の歴史に触れた。
 マーサさんは「父から日系移民団のことを聞かされました。日本からのグループが敷地に来て、いつもすてきな贈り物をもってきてくれたことやお墓参りにくる人々のことなどを話してくれました」と語る。
 マーサさんいわく、彼女が幼い頃は敷地内で牛も飼育しており、おけいの墓はフェンスで囲まれていたという。

1929年に日本人一行がビアキャンプ家を訪れ、初代ビアキャンプ氏の六男ルイス氏と2人の息子とともに撮られた写真

1929年に日本人一行がビアキャンプ家を訪れ、初代ビアキャンプ氏の六男ルイス氏と2人の息子とともに撮られた写真

 ここに1929年に撮られた一枚の写真が残る。日本人の一行が同地を訪れ、ルイス・ビアキャンプと2人の息子とともに撮られた写真だ。手には会津藩(徳川家)の葵紋が描かれたバナーと刀がある。ビアキャンプ家は刀とバナーを大切に保管していたが、その後カリフォルニア州に寄付。ビアキャンプ家は昔のコロニーの写真なども多数保持しており2017年にその多くを加州に寄付したという。

日米交流の懸け橋に
受け継がれるおけいの歴史

エルドラド郡の小学4年生が読むおけいの生涯を伝える本

エルドラド郡の小学4年生が読むおけいの生涯を伝える本

 若松ファームがあるエルドラド郡の小学4年生は読書プログラムの一環で、日本からカリフォルニアに来たおけいの生涯を伝える本「Okei-san: A Girl’s Journey, Japan to California, 1868-1871」を読む。書いたのは地元の作家ジョアン・ボーソッティ氏。
 また若松ファームを訪れ若松コロニーについて学ぶ遠足プログラムも実施されており、ARCによると毎年約200人近い生徒がおけいの墓を訪れ若松コロニーの歴史を学んでいるという。
 移民団入植から100周年を迎えた1969年には、当時カリフォルニア州知事だったロナルド・レーガンが若松コロニーの跡地をカリフォルニア州の歴史史跡に指定。敷地の隣にあるゴールド・トレイル小学校は80年から会津若松市立東山小学校と姉妹校提携をしており、図書館には浮世絵をモチーフにした壁画が描かれ、東山小学校の生徒から送られてきた千羽鶴や習字、メッセージが書かれた本などが飾られている。

若松コロニーの跡地は1969年にカリフォルニア州の歴史史跡に指定され、敷地の隣にあるゴールド・トレイル小学校にそのモニュメントがある(写真=吉田純子)

若松コロニーの跡地は1969年にカリフォルニア州の歴史史跡に指定され、敷地の隣にあるゴールド・トレイル小学校にそのモニュメントがある(写真=吉田純子)

 こうして今に生きる私たちにとって若松コロニーの存在は確実に日米交流の懸け橋になっている。
 今年はアメリカ本土に日系移民第1号が入植してから150年を迎え、ARCは6月6日から9日に4日間にわたって150周年記念式典「Wakamatsu Fest 150」を開催する予定だ。
 かつて若松コロニーがあった場所の片隅には今、再び茶の木が植えられている。数年後、木が成長し、茶葉を摘めるようになった時、それは150年前に果たせなかった入植者たちの夢が花開く時なのかもしれない。
【参考文献/協力】
◎仲田道弘著「日本ワイン誕生考」(山梨日日新聞社)
◎西東秋男著「日本食文化人物事典―人物で読む日本食文化史」(筑波書房)
◎富田仁編「海を越えた日本人名事典」(日外アソシエーツ)
◎邦字新聞デジタルコレクション・フーヴァー研究所ライブラリー&アーカイブス
◎California Digital Newspaper Collection
American River Conservancy
<羅府新報1月1日付け(https://bit.ly/2Cuy4xH)より転載、終わり>

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