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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(123)

 二人は薬局できちんとした手当をうけさせようとネナをかかえ、町へ走った。だが、薬局の者でさえどうにも手に負えない状態で、すぐにサンタカーザへ向った。結局、簡単な手術を受けなければならなくなった。指を切り開いて膿みをとり、管を入れ中を消毒する。ガーゼ、包帯などは毎日とり替える必要があるが、それはうちででもできる。手当ての最中に爪がはがれるかもしれないがびっくりしないように。そのうちに、新しい爪がはえるから心配はいらないといわれた。
 だが、ネナは怖れた。たった、ひとつの鍋で足を一本失うかもしれないと思ったからだ。何回か手当てをうけていくうちに、その心配はなくなった。新しい爪がはえてきたのだ。彼女は絶対になおると信じるようになった。

 正輝はまた、政治について関心をもつようになった。彼をよく知っている者は誰かの家かバールのテーブルを囲んでの集まりに彼が参加しないのは一時的なことだということが分っていた。アララクァーラの仲間の集会は警察から禁止されていたが、日本軍のアジア進出にしたがい、ますます盛んになっていた。正輝が政治、哲学的討論を放棄することは生きることをやめるようなものだ。移民たちの間に伝わる内密の情報によると、日本軍の侵略地域は広がる一方で、確実に成果をあげていた。
 しかし、太平洋の軍事態勢、侵略地の経済対策の悪化は隠蔽されていた。軍事司令部が期待していた早急で幅広い侵略は計画通りいかなくなっていた。この侵略こそ真珠湾攻撃で莫大な被害をこうむり、一時的に戦力が弱ってきた敵国アメリカに対し日本国の軍事力を示す格好のチャンスなのだ。
 日本語による出版物の流通が禁止され、正確な情報に欠けた正輝の討論仲間、そして、ブラジルに生きる移民は知り合いや急増した国粋主義組織から得た情報を信じた。大和魂に支えられた彼らにとって、1942年のはじめからあらわれはじめたアメリカと連合国の優勢を示す戦局の急変という正しい情報を信じないで、日本軍の太平洋への侵略という誤った情報を信じるのはあたりまえといえよう。
 国粋主義者のだれにも真珠湾に停泊していた大部分の軍船を失ったアメリカが、同地域で猛烈な軍事活動をはじめられる状態にあるなど信じられなかった。すべての日本人、正輝のようなブラジル移民、そして、帝国政府のなかでもっとも真珠湾攻撃を支持した東条英機首相も、それから間もなくアメリカが戦闘を開始するなどと予想できなかったのだ。
 真珠湾攻撃による結果、ヨーロッパの大部分の国が日本に反発した。まもなくアメリカは新兵器による戦いに移っていった。
 1942年5月のはじめ、真珠湾攻撃のわずか6ヵ月後、米軍艦隊はニューギニア南東、珊瑚海で日本帝国海軍の艦隊を破り、オーストラリアへの海路を封じた。1ヵ月後、今度はハワイ諸島北西のミッドウエイ戦で日本海軍は破れ、この戦いで日本軍は何隻もの航空母艦を失った。日本軍が米軍から受けたさらに大きな打撃は1942年8月から1943年2月にわたるニューギニアの西、ソロモン諸島のガダルカナル基地を奪回されてしまったことだ。
 この作戦で日米の戦力が逆転しはじめた。アメリカは新しい戦略法をもちいることになった。海戦において、当初、航空母艦からの遠距離作戦は日本側に有利だった。

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