ホーム | コラム | 特別寄稿 | 「生」にしがみついて生きる現代=「いかに美しく死ぬか」を目標に生きる=究極の終活―死を意識した日頃からの心構え=ヴィラカロン在住 毛利律子

「生」にしがみついて生きる現代=「いかに美しく死ぬか」を目標に生きる=究極の終活―死を意識した日頃からの心構え=ヴィラカロン在住 毛利律子

NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」の紹介サイト

 去る6月にNHKスペシャル番組の「彼女は安楽死を選んだ」が報道された。多系統萎縮症という重い難病を患った二人の日本人女性が、自ら望んだ「積極的安楽死」と、「生き続けて医療を受ける」選択を比較的に報じた密着取材番組であった。
 番組の内容は、スイスでは一定の手続きをして厳格な審査で認められれば安楽死ができるということから、それを実行した女性患者と、もう一方は最後まで生き続けることを望んだ患者であった。両者とも、テレビカメラの前に素顔を出して取材に応じていた。

安楽死とは

 安楽死には、「消極的安楽死」と「積極的安楽死」がある。
 「消極的安楽死」は、終末期にある患者に対して積極的な延命治療をしない方法である。
 「積極的安楽死」は、患者の意思が明確で、本人がそれを強く望む場合に実行される。抱える病の苦痛が耐えがたい、回復の見込みがない、代替治療がない、といったいくつかの条件のもとで、医療従事者が患者に対して積極的な死を与える、というものである。
 安楽死することを決断した女性は、徐々に身体機能を失って回復の見込みはないと宣告されていた。そこで最後の選択として、自分の意思が明確に伝達でき、スイスまで移動できるだけの身体機能が残っている間に、そこへ行くことを強く希望していた。
 彼女には、姉妹二人が同行した。本人は自分らしさを保ったままでの死を決心した。だが、付き添った姉妹は最後まで、ほんとに彼女の人生を、今終わらせていいのかと苦悩していた。病室での死の直前から直後までが実写されたのは、とても衝撃的であった。
 最後の瞬間――ベッドに横たわる女性に医師が最終確認し、彼女が大きくうなずき、点滴によって致死量の薬品を投与し、ほんの数分で眠るように死んでいった。不気味なほど静かな死であった。
 もう一人の女性は、延命装置を付けて最後まで生き続けることを望んだ。医師は、実の姉と娘に対し承諾の是非を確認した。二人は同意した。家族は、最後まで、患者と寄り添うことを承諾したのである。
 この番組に対しては放映直後から、激しい賛否両論がネット上に多く寄せられている。例えば、スイスの医師が準備した致死量の点滴を患者自身がクレンメ開放(手動クレンメは輸液チューブを外側からはさみ込むようにして取り付け、押圧量を調整する)スタートをさせたから、安楽死ではなく自殺幇助だという意見。
 子供(未成年者)に与える影響はどうなのか。安易にスイスで安楽死と考えるきっかけを作っているのではないか。あまりに衝撃的なあの実写はなくてもよかったのではないか。放映の前にもう少し社会全体に議論を深めておいたほうがよかったのではないか、という一般市民、医療専門家からの厳しいコメントが特に目立つ。
 日本では積極的安楽死は法的に認められていない。世界的にみた場合、これを法的に容認しているのは、スイス、オランダ、アメリカのいくつかの州などわずかである。

オランダの安楽死法

 オランダは、世界で初めて安楽死を認めた。2001年に安楽死法が成立して以来、医師に処方してもらった注射や薬物で死ぬことができる。それでも、国民的議論の上、この法律が成立したそのオランダでさえ、安楽死の割合は3%ほどで極めて少ないという。
 それではなぜ、安楽死法を成立させることができたのか。オランダでは日常的にその家族の健康を管理する「家庭医制度」があり、国民はおのずと家庭医を持たなければならない。家庭医は、自分の患者のすべてのデータをもとに、患者がどのようにしたら自分らしく生きて、死んでいくかについてアドバイスをする。安楽死はこの家庭医が了承しない限り認められないという。
 このオランダ独自の家庭医制度が世界初の安楽死法を成立させた。因みに、日本の尊厳死はオランダでは通常の医療行為にしか過ぎないという報告がある。

「安楽死」と「尊厳死」の違い

 死には「尊厳死」「平穏死」「満足死」「自然死」「安楽死」などがある。
 すなわち「尊厳死」とは、「不治かつ末期の病態になったとき、自分の意思で無意味な延命治療を中止し、人間としての尊厳を保ちながら死を迎えること」と定義している。「それゆえ、尊厳死は自然死や満足死と同義で、積極的な方法で死期を早める安楽死とは根本的に異なる」と、日本尊厳死協会理事長・岩尾總一郎氏は説明している。
 その時、自分はどうしたいか、どうするのが自分にとって最も望ましいか。それを日本尊厳死協会のホームページでは、終末期を迎えた時に意思表示する「リビング・ウイルと事前指示書」が一般に公開されている。
 その冒頭には次のように説明されている。
 《回復の見込みがなく、すぐにでも命の灯が消え去ろうとしているときでも、現代の医療は、あなたを生かし続けることが可能です。人工呼吸器をつけて体内に酸素を送り込み、胃に穴をあける胃ろうを装着して栄養を摂取させます。ひとたびこれらの延命措置を始めたら、はずすことは容易ではありません。生命維持装置をはずせば死に至ることが明らかですから、医師がはずしたがらないのです。
 「あらゆる手段を使って生きたい」と思っている多くの方々の意思も、尊重されるべきことです。
 一方、チューブや機械につながれて、なお辛い闘病を強いられ、「回復の見込みがないのなら、安らかにその時を迎えたい」と思っている方々も多数いらっしゃいます。「平穏死」「自然死」を望む方々が、自分の意思を元気なうちに記しておく。それがリビング・ウイルです》(日本尊厳死協会https://www.songenshi-kyokai.com/living_will.html
 半世紀前まで、人は自宅で生まれ、病気になると往診を頼み、自宅で家族に看取られて大往生するのが当たり前だった。そうやって尊厳ある最期を迎え、家族、親族に見送られた。
 現在では、家族の負担などから、病院で死ぬことが当たり前になった。昔なら、自然に死んでいった人が、一旦病院に担ぎ込まれると、医療従事者は延命の処置をとることになる。
 今日、ほとんどの人にとって「亡くなるまで自宅で過ごしたい」という希望は叶えられない。それは、介護する家族の生活環境、負担や病状の変化、介護施設での生活などが理由になる。

長寿社会の哀しさと老々介護の現実

 今年に入ってからでも、老々介護の夫婦間に起きる心中事件、介護疲れから60―70代の子が90―100歳代の実親、義理の親を殺す事件が連日報道されている。
 外見では、経済的に恵まれ、物質的にも何不自由ない生活の中を築き上げてきた老夫婦が、人生の最後にそのような決断をするに至ることが、実に切なく、また、哀しいことである。
 三重県では、84歳の夫が83歳の妻の胸を包丁で刺して殺し、夫は台所で首をつって死んでいるのを、60歳の長女が見つけた。夫婦二人暮らしで、夫は足の不自由な妻を10年前から介護していたという。妻の枕元には夫の遺書が残されていたというが、84歳の老人の精神的、肉体的疲労は極限に達していたに違いない。
 また、愛知県では、96歳の姑が、長男74歳の妻70歳に、首を絞められ窒息して死亡した。この事件に関しては、「長男の嫁が姑と同居しつつ介護。まじめな妻はよく尽くしていたが、精魂尽き果てたのではないか」、情状酌量の余地があるのではないか、という同情の声が上がっている。
 毎日のように、このような介護疲れで無理心中を図る事件が相次ぐ中、安楽死制度の法整備を望む声が高まっているという報道に接する機会も多くなってきた。
 他人事ではなくなってきた老々介護の社会的環境で、長生きすることだけが幸福とは言えないという現実ではある。だが、だからといって手っ取り早く安楽死の法整備をしようと世論を急かすのも、どうだろうか。
 その前に考えるべきは何か。

究極の終活―死に臨む生き方を学ぶ

終活ノートと預金通帳、保険証書など

 ある老人ホームに勤めている介護人の対談の中で、「最近の高齢者は、悠々自適な老後生活とか、余生を楽しむという自分の描いたイメージが強く、少しでも長生きして、残された生を精いっぱい楽しむために狂奔している。やがて死が近くなると、にわかに元気がなくなり、見苦しいほど取り乱す。つまり、『生きている命』は大切に考えるが、『目前の死』の意味を考えようとしない」という趣旨のことが語られていた。
 医療技術の急激な進歩により、現代人は「死ぬことが難しくなった時代」を生きている。
 あるアメリカの医学学会に保険会社の社員たちが参加して開いたシンポジュウムがあった。なぜ、保険会社が参加しているかというと、次のような理由からであった。
 それは病人は、できる限りの延命装置をつけて生きると、コストはどのくらいかかるかを計算して発表するためであった。その莫大なコストを知らないと、その人も家族も破産してしまう。健康保険会社はそのことを説明しなければならない。
 それでは何時、誰が、どのようにして延命にストップをかけるのか。この会議に参加していた、医師、弁護士、牧師、そして保険会社の社員は、真剣に、論理的に合理的に論を進めたが、結局結論は出なかったという。
 なぜ、結論が出ないのか――。それは、近代先進医療に頼って「生きる」考えに基づいて、その延長線上で議論を繰り返しても結論に至ることはできない、ということが報告されていた。
 その一方、仏教では、「先ず臨終のことを習うて後に他事を習うべし」と教えている。
 「人生の終わり」をどう生きるべきか。死生観や生命倫理に関わる非常に難しい問題ではあるが、現代人は「生」にしがみついて、自分にとって極めて大切な「死」をあまり意識せずに生きているとは、よく耳にすることだ。
 「死生観」とあるように、かつて日本の文化においては、「いかに美しく死ぬか」ということを目標にして「いかに美しく生きるか」を教えていた。大切な自分自身の死を目指して生きることが尊ばれていた時代があった。
 ただし、与謝野晶子が弟を戦地に向かわせるにあたり「君死にたもうことなかれ」と歌ったように、戦争では「死=名誉」を強調した人生観がどれほど不毛であったかを、日本国民全体が敗戦の歴史の中で学んできた。
 そして高度経済成長期を突っ走ってきた団塊の世代は、ひたすら便利で豊かな生を追求してきた。だが今、ゴミと化した〈便利な物〉に囲まれて、高齢者が一人死んでいくことがなんと多いことか。
 民俗学者の柳田國男は『先祖の話』の中で、次のような人物の物語を語っている。

臨死体験が描かれている絵画(ヒエロニムス・ボス作「Ascent of the Blessed」, Hieronymus Bosch [Public domain])

 ある一人の年老いた大工が、いかにも落ち着いて見える。その秘密は、「そのうちに自分は御先祖様になる」ことを確信している。その人の社会的地位、名誉、財産などではなく、自分自身がいずれご先祖様になるために、生き方を糾し、すべきことをするという大工の生き方がしっかりと身に備わっているという物語である。
 この男に、これほどまでに落ち着いた風格を与えているのは、今この現在の生だけでなく、死をもって永遠に生き続けることを生きざまの中に遺している、という話である。
 「私」という一人の存在は、思いもよらぬ歴史を背負い、実に多くの人や物事と関連して生きている。その人生は殊の外貴重なものである。
 現代人は、自分の尊厳のためにも、「究極の終活はなにか」を、先ずは学ばねばならない時代に生きている。

【参考文献】日本医学ジャーナリスト協会ニュースレター合本2013―16、通巻No71―80

image_print