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「時が来ると実がなる」事を信じたい

 日本の友人がフェイスブックにプルーンの実の写真と、「時が来ると実がなる」との言葉を載せた。それを見、弊社で日本語の研修をし、北海道で国際交流関係の仕事をした後に帰国、ブラジルの公文本社で勤務している三世の男性から「公文の社長は誰も切らない」と聞いたのを思い出した▼近所の公文の教室経営者が次々に人を採用しては首を切り、新人のトレーニングで時間外手当などがかさむと漏らしていたのが気になり、「このような人事は公文の方針に沿っているのか」と尋ねた時、「各教室は独立した会社と同じだから、公文本社も口を挟めない」と言われた。だが、トレーニングの費用は単なる経費ではなく、投資のはずとの声には賛同してくれた。最初から満足のいく仕事が出来る人はいないし、子供や新人も含めた全ての人が誰かに育てられてきたはずなのだ▼仕事の内容や本人の意識の高さ、能力などにより、同じように育てたつもりでも、芽が出るか、実が出来るか、どこまで育つかには大きな差が出る。だが、他の教師がさじを投げた生徒をちゃんと育てている人もおり、育てる側の忍耐や、個性や能力は違っても、いつか芽が出て実がなる、いつか自分を追い越すような木になるとの期待が結実を助けるのだと思わされる▼植物は種の状態や水やり、日照、栄養分、地中の石の有無などで成長速度や根の広がり方が変わる。時には剪定も必要だ。まして、人の成長にはどれ程多くの条件が影響する事か。弱い部分を矯正するか、得意な部分を伸ばすかでも育て方や成長速度が変わる。収益性は大事だが、周囲の人の成長を自分の糧に出来る雰囲気や人間関係を大切にしたいものだ。(み)

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