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県連故郷巡りアマゾン=90周年に沸く「緑の天国」=(22)=マナウスに取り残された34人

有坂艶子さん、夫の隆良さん

 途中大雨に見舞われながらも、水上レストランで昼食を取った一行は、ホテル・ブルー・ツリー・マナウスに戻った。夜はアマゾン地域の魚料理レストラン「Amazônico Peixaria Regional」を訪れた。
 ここでは、この旅で最もアマゾン色が濃厚な食事が味わえた。どれも美味しかったが、肉厚なピラルクのチーズ焼きや、焼いたタンバキなどは、思い出すだけでもう一度食べたくなる。胃が満たされるまで思う存分味わい、帰路についた。
 ホテルのロビーに着くと、吉岡美津子さんが「19歳の頃に同じ学校だった」という故郷巡りの参加者と話をしていた。今は別々の所に住んでいるので、再会は久々だという。
 これは面白そうだと話を聞こうとすると、相手の人から「取材はちょっと」と断られてしまった。せっかくのネタが…と悔しがっていると、「ちょっと記者さん、聞いてくださいよ」と有坂隆良さんと妻の艶子さんが声をかけてきた。
 「私の妻がね、同船者にここで再会したんだよ!」――隆良さんが、そう言って妻の艶子さん(84、二世)の事を紹介すると、艶子さんはふふっと笑う。「ブラジルで生まれた艶子さんに同船者とは?」と首を傾げていると、「彼女は一度日本に帰っているんだ」とその経緯を説明し始めた。
 当時、サンパウロ州南部のイタリリーに住んでいた艶子さんの一家は、戦後に日系社会を二分した〃勝ち負け抗争〃の勝ち組だった。「日本はもう勝ったんだから、全員で帰りましょうって」と、1954年1月に家族13人で日本へ引き揚げた。
 沖縄県出身の艶子さんの一家だが、大阪府に身を寄せ4月には日本の学校にも通った。だが日本に適応できず、7月には移民船「ぶらじる丸」でブラジルに戻ることになる。
 その時に船の中で一緒だった、サンパウロ市イピランガ在住の若山ヨシオさんと今回故郷巡りで再会したというのだ。艶子さんは、「ベレンのホテル・サグレスで偶然目の前に座って居た人と話したら、同船者だと分かったの」と喜ぶ。
 「世間は狭い」とよく言うが、この再会にもピッタリ当てはまる言葉だ。だが肝心な連絡先は「聞き忘れちゃった」とのことだが、日系社会にいれば再び会える気がしている。
    ☆

ガイドのケイコさん、Zenkyuさん、和田好司さん、和田恵子さん

 マナウス最終日の17日のはずだったが、前日の16日午後にガイドのケイコさんから「大雨で小型飛行機の墜落事故があり、飛行機が飛ぶか分からない」と連絡があった。幸い死者は出なかったが、航空便の発着が見送られている状況とのことだった。
 記者と同じグループの34人が乗る予定だったのは最も朝早い便で、17日午前4時45分発を予定していた。だから一行は午前2時に起床し、3時15分に空港へ到着、午前6時15分には全員が搭乗口に着いていた。ところが、なんと10時半まで待たされた挙げ句、「キャンセルとなった」と発表があった。
 どうすることも出来ない状況に、リオ・グランデ・ド・スル州都ポルト・アレグレから参加した和田好司さんと妻の恵子さんは、早々と席に座り、各々自分の時間を過ごし始めた。恵子さんは「こうなったらも何も出来ないから、本でも読もうかと」と鞄の中から小説を取り出した。
 せっかくなので、今回の旅で最も良かったプログラムは何か聞いてみると、「カスタニャールの昼食会が良かった。婦人部の人ともっと交流の機会があればとも思ったけどね」と惜しみつつも、地元の人との交流が楽しんだようだ。
 一方で、好司さんは「今回楽しかったこともあるけど、スケジュールが過密で大変疲れた。トメアスーとベレンの往復は合計で11時間、トメアスーで行われた式典は4時間もかかったしね」といつもの調子で辛口な感想を口にした。
 サンパウロへ到着後は一泊し、ポルト・アレグレに戻る予定のため、「帰りの飛行機がいつになるか」と気持ちがはやる様子。
 前県連会長の本橋幹久さんは、「スムーズで手順が良かったのはマナウスの式典、一生懸命やっているのが感じられたのはトメアスーだったね」と感想を述べる。また、「マナウスの宮本倫克さんなど、久々の友人に会えたのは良かった」と顔を綻ばせた。(つづく、有馬亜季子記者)

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