ホーム | 文芸 | 連載小説 | 臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳 | 臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(170)

臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(170)

 そのひとつが獄中仲間と歌った「愛国行進曲」だった。年上の子どもたちは歌詞を暗記していて、大声でいっしょに歌った。
 彼が確信していた日本勝利のニュースは、再び日本への帰国の夢をよみがえらせた。だが、今回は沖縄の家族のためではなく、日本が勝ったのだから、新しい国造りに貢献したいためだった。帰国は可能だと考えただけではない。それを願望するようになったのだ。若狭丸で神戸を出たときの故郷に錦を飾るという訳ではない。単に、愛国心にかられての願望なのだ。
 はたして日本は勝ったのだろうか? 当時の日系社会の混乱、獄中で過ごしたときの警官や刑務所職員による扱い、牢屋仲間との話し、これらが彼の考え方を変えていった。日本の敗戦を認めたくない気持ちが強く、今まで考えたこともない敗戦だが、それが少しずつ頭をよぎるようになっていった。そして、長い葛藤の末に、敗戦を受け入れる気持ちになっていった。
 敗戦を拒んだのはそれが及ぼす影響があまりにも大きかったからだ。正輝がずっと信じてきた神話が崩壊することになる。その一つが戦場での無敗だ。裕仁天皇の人間宣言は天皇家の神聖を否定している。それまで、天皇は神だと信じられていたのに、今はただの人間にすぎない。再び持ち上がった帰国の夢は侮辱的な形で、泡のように消え去った。
 「けとう」(日本移民がトウモロコシの毛から西洋移民をバカにして呼称した)が日本は負けたと言いふらしていたが、そのほうが正しかったのだろうか? ブラジル人が臣道聯盟は現実を見極められない無能で熱狂的で、、キチガイじみて、判断力にかけたグループといっていたのは正しかったのか? 組織があっという間に解体されたのをみても、彼らの言ったことに一理ある。本当にキチガイたちなのか? 子どものころから培ってきた愛国心を養うため努力しただけではないのか? それが間違いか? 犯罪か? 気が狂っているというのか?
 みんなは国が破壊されたという。そんな日本にどうして帰れるというのか? 最近、上の息子マサユキやアキミツといっしょに見るウエスタン映画のインディアンと戦った白人の英雄を迎えにくる騎馬隊のように、日本海軍、陸軍は故郷に連れもどすために迎えにくることはないのだ。
 これら全てを納得するのは生易しいことではない。自分が敗戦を受け入れたら、そのことを子どもたちに説明しなければならない。説明など彼には到底できない。なによりも彼自身耳にしたり読んだりしたことが信じられないのだから…日本は負けない。負けるはずはないという思いが断ち切れなかった。祖国の支配権を強化することはできなかったのは確かだ。負け組が天皇の言葉として情報に使った「堪えがたきを堪え」は本当に敗戦を認めたお言葉なのだろうか? では、負け組のほうが正しかったのか?もういちど自問してみた。自尊心、誇り、信念、確信、希望はすべて泡のように消えてしまったのか?
 それまでいくつもの明白な事実を認めず、信じられなかったことを信じ「堪えがたきを堪え」て、敗戦を受け入れた。わずかな情報しか得ることができなかった全ての人たちにとって当たり前のことだった。思慮分別を欠いた過ちを犯したことを恥じた。だが、よき日本人として、恥をマイナス分子として捉えなかった。恥には徳性があり、恥じることはものごとを浄化する作用があるとさえ考え、かえって勇気づけられた。

image_print