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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(220)

 とくに、日本の敗戦を認めた正輝がブラジルに根を下ろそうと決意し、子どもたちの教育のため都会に移ったことに心を打たれた。ネーヴェス氏は子どもたちが真のブラジル人になるためには、どんな援助も惜しまないことを約束したほどだ。
 マサユキを、洗濯業よりずっとすぐれた職につけるようにしてくれたのは、ほかでもないこのネーヴェス氏だった。まだ18歳未満のマサユキが、彼の口利きで正規の公務員ではないが、臨時公務員として市役所に就職できたのだ。
 マサユキは臨時公務員だから定期的に昇進するという恩恵はなかったが、公務員としての労働期間を積み重ねられるという利点はあった。なによりも嬉しかったのは、雨が降ろうが日が照ろうが、毎月かならず収入があるということだった。天候のよしあしが仕事に影響する洗濯屋は、どうしても競争相手の上原洗濯店に客が流れてしまう。雨天がつづくと、洗濯に時間がかかり、アイロンかけも遅れてしまい、お客さんからの苦情がふえるのだった。
 マサユキは公務の仕事を覚えることで、正規公務員への募集要項が告知されたら、よりよい条件で受験できる。理科系高校の卒業をまじかに控えた応募者と肩をならべられるばかりか、さらに有利となるはずだ。だから、サントアンドレ市役所の正規公務員になるのは時間の問題だった。

 ほかに方法もなく、どうにかこうにかやってきた洗濯業もこれ以上つづけられず、とうとう、閉鎖を余儀なくされた。年下の子どもたちは両親や兄たちが食事をとるひまもないほど働きづくめだったのに、なぜつぶれたのか見当もつかない。正輝が子どもたちに「倒産した」といっても、ますます分らなくなるばかりだ。
「せっかく洗濯屋を開けたのに、なぜ、閉めなければならないのか?」
 ツーコ、ヨシコ、そして、末子のジュンジには納得がいかなかった。前からうまくいっていなかったのだが、状況がますます悪化し、やめるほかなかったのだ。アキミツは旧友の松吉の洗濯店で、セーキは競争相手の上原洗濯店で働くことになった。結局、ニーチャンが家族の生存を維持し、子どもたちが生活費を稼ぐことになった。ただでもみじめな小屋住まいで傷心していた正輝が、今度は一家を養うこともできなくなってしまった。
 都会で生き残る可能性があるのは朝市かもしれない。しかし、金もなく、新しい屋台の許可をとれずどうやってはじめればいいのだろう?いま、営業している屋台を買うにも金がない。たしかに、山ほど障害はある。けれども、正輝はひるまずに決断した。沖縄人から紹介された人、他の人に借金をかかえている人などを訪ね歩いた。そのかいがあって、福知という人がもっている四つの屋台のうちの三分の一を貸してもらえることになった。そこで、スペイン産のニンニクを売ることにしたのだ。
 房子は小麦粉の袋で作った短い袖のシャツの上に着るため、青いズックで上っぱりとズボンを縫った。アララクァーラからもってきた茶色のブーツは、先も両側もすり切れていたがまだ使える。以前は日曜日の散歩に装飾として被っていたプラダ印のハットは形がくずれ、ツバも垂れ下がっていたが、市場で働くには必需品になる。

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