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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(260)

 ブラジルに帰ったとき、子どもたちに奇妙な言葉を使った。便所をトイレと呼んだ。フランス語のtoiletteが英語のtoiletになり、それを簡略してトイレとなったのだ。英語のserviceは日本式にサービスと発音した。
 そして、房子はもう二度と日本には帰りたくないといった。
 子どもたちははじめ、幼年、少女期を過ごし、頭で描いた日本と現実の日本が違いすぎ、モダンな習慣を自分たちの生活に取り入れることなどできなく、それが二度と故郷に帰りたくないという気持ちにさせたのかもしれない。そのあと、自分たちが日本の親戚を訪問する機会があり、そのとき、はじめて母の心境を理解することができたのだ。
 別離のいたみを二度と味わいたくないというのが真実だった。
 房子は沖縄で自分と同じ年頃で、いっしょに育った甥や姪と再会した。沖縄を去るに当り、今度こそ最後の別れとなり生涯会うことができない、お互いに年を取り、再会など望めないと感じたのだ。そのような悲しみをくり返すことはあまりにも辛いことだった。そして、別の時期に正輝の故郷、新城を訪れたマサユキ、アキオ、ジョージも従兄弟の昇と別れるときに同じ思いをすることになった。
 その後、房子は正輝が従容した「生長の家」の教義を勉強し、その布教に力を注ぐことになった。その努力がむくい、「生長の家」の創設者、谷口雅春署名入りの教職員免許書を獲得するまでに至った。
 家族は房子を中心に広がっていった。
 孫が増えるにつれ、房子自身も子どもたちも最初は「おばあさん」とよんでいたのだが、すぐに家族中が「ばあちゃん」とよぶようになり、現在にいたるまで、彼女の子孫はみな「ばあちゃん」とよんでいる。
 息子たちのほかに24人の孫3人の曾孫を残して、房子は1996年7月3日に他界した。

 正輝が世を去ったとき、ネナとセーキ以外はみな大学生か大学を卒業していた。勉学をやめていた者もやがて学校に戻った。マサユキは経済学士となり、彼の影響を受けて、家でアキミツと呼ばれていたハキオと、ミーチと呼ばれていたシルヴィオも途中で一時働いたりしたが、大学で経済学を専攻した。ツーコとよばれていたシダも経済学に進んだ。ヨシコと呼ばれていたアメリアは法学を学んだ。

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